SNSでの拡散がなければ石破首相にも届かなかった
しかし、実際には制度利用者や医療者、学術界の反発は予想以上に大きく、国会の予算委会で与野党議員を巻き込んで世論の注目を集める大きな事態に発展してしまった。
そして、自己負担上限額を引き上げたい本当の理由は、医療保険制度の持続可能性というよりもむしろ、政府の予算調整という身も蓋もない理由であったのだろうという本音まで露呈してしまった。このお粗末な背景事情は、「一時凍結」決定を総括した新聞記事やニュース報道でもたびたび指摘された。
とはいえ、いずれの記事やニュースも、おそらくは文字量や紙幅、放送時間などの関係からごく簡単な事情説明に留まったものが大半だった。一方で専門家の論文では、俯瞰した視点から腰の据わった検証や的確な批判が複数発表されている*6。
ともあれ、2024年に政府が目論んだ高額療養費の自己負担上限額〈見直し〉案は、一時凍結に至った。そして春以降に議論が仕切り直しとなった厚労省医療保険部会やその下部組織として設置された高額療養費の専門委員会では、医療保険制度改革全体の中に高額療養費制度を位置づける、という方向で議論が進められていった。
その結果、2025年12月末に厚労省が提示した新たな〈見直し〉案では、現役世代の高額療養費自己負担上限額は、多数回該当の従来金額を維持し、新たに年間上限額の設定を盛り込むなど、専門委員会に参加した患者団体の意見がある程度反映された内容になった。
ただし、所得区分は凍結案同様に一三へ細分化されている。わずかな社会保険料抑制のために高額療養費を使用する人の負担を引き上げる、という構図も凍結案同様だ(表2)。
いずれにせよ、2024年晩秋に顕在化した政府の高額療養費制度〈見直し〉案が2025年3月にいったん全面凍結され、その後の議論を経て制度利用者の声がある程度政府案に反映されてゆく過程では、SNSが非常に大きな役割を果たした。
SNSを通じた情報拡散がなければ、患者団体の緊急アンケートや反対署名はあそこまで広がらなかっただろうし、患者たちのアンケート回答が国会論戦で引用され、ひいてはそれらが石破茂首相の手元に届くこともなかっただろう。
また、その後に創設された専門委員会の議論がリアルタイムに世の中へ広く伝わることも、SNSがなければありえなかっただろう。
そうやってSNSを活用することで高額療養費制度〈見直し〉案の問題点を世間に広く知らしめた立役者であり、政府〈見直し〉案に歴史的な方向転換をさせた功労者のひとりが、全国がん患者団体連合会理事長の天野慎介氏だ。
文/西村章
註
*1「資料2:子ども・子育て支援法等の一部を改正する法律案の概要」第5回子ども・子育て支援等分科会、二〇二四年二月一九日。
https://www.cfa.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/481073ad-6d4f-4ddb-9f39-13370dbcef18/6b455775/20240219_councils_shingikai_kodomo_kosodate_YQvq3ixl_03.pdf
*2「こども政策推進会議(第2回)」、こども家庭庁、二〇二三年一二月二二日。
https://www.cfa.go.jp/councils/suishinkaigi/1bP4fnMp
*3「令和7年度予算政府案・社会保障関係予算」
https://www.mof.go.jp/policy/budget/budger_workflow/budget/fy2025/seifuan2025/13.pdf
*4 ただし、厚労省OBの中村秀一氏は「社会保険旬報」二〇二五年四月一日号に寄稿した論考「高額療養費―失敗の本質(霞が関と現場の間で(62))」(二一ページ)の中で「高額療養費の見直しが必要となったのは、岸田内閣が決定した『こども・子育て予算の倍増』を『国民の負担増なし』で実現するとしたことにある。そのために1・1兆円の公費節減、1兆円の社会保険負担の節減が必要とされた。これについて厚生労働省がさしたる抵抗もせずに受け入れたことが、最初の失敗である」と、明確に批判している。
また、健康保険制度や診療報酬を審議する厚労省の諮問機関、中央社会保険医療協議会会長の小塩隆士氏は、「(講演録)社会保障改革の現状と課題」(「週刊社会保障」二〇二五年一〇月二〇日号、三八―四三ページ)で、「高額療養費を含めた社会保障給付費の削減で、子育て支援に必要な1・1兆円を捻出するという話である。(中略)効果のない子育て支援策のために、国民皆保険の岩盤に手をつけてよいのかと言われれば、私は明確に反対する」と述べている。
*5 e-Gov 法令検索「健康保険法(大正十一年法律第七十号)」
https://laws.e-gov.go.jp/law/211AC0000000070
*6 以下のような論文がある。
・三原岳(ニッセイ基礎研究所)「政策形成の『L』と『R』で高額療養費の見直しを再考する―意思決定過程を詳しく検討し、問題の真の原因を探る」二〇二五年二月一七日。
https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=81141?site=nli
・成瀬道紀(日本総研)「高額療養費制度を巡る政策のあり方 ―必要な医療へのアクセス確保と非効率な医療の抑制の両立に向けて―」二〇二五年七月三一日。
https://www.jri.co.jp/page.jsp?id=111729
・二木立(日本福祉大学元学長)「私が高額療養費制度の患者自己負担増に強く反対する理由」、「文化連情報」二〇二五年四月号、二八―三七ページ。
https://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/data/20250405-niki.pdf
・安藤道人(立教大学教授)、河田純一(東京大学医科学研究所特任研究員)「高額療養費改革案はどう見送られたのか:2024年度案の政策形成・修正過程と患者運動」、「医療経済研究」vol.37、No.1、二〇二五年、二九―四三ページ。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjhep/37/1/37_2025.05/_pdf/-char/ja
・安藤道人「高額療養費の負担限度額引き上げ案はどう『拙速』だったのか」、「都市問題」二〇二五年八月号、四―一三ページ。
https://researchmap.jp/michihito_ando/misc/51033586/attachment_file.pdf













