東山彰良の文体はパワーコードだ

佐橋 昔、「悲しい歌は陽気な顔で、陽気な歌は神妙な気持ちで歌ったほうがいいんだぜ」と言った有名な歌手がいたらしいですけど、明るい歌だから陽気に歌おうというのは、聴いた人の何かを喚起させないということを言いたかったみたいですね。そうかもしれない。悲しいことを表現するときに、いわゆるマイナー、短調の曲を奏でる必要はないのかもしれないし。
 音楽の話でいうと、いわゆるシティポップみたいな音楽でよく使うメジャー7っていうきれいな響きのコードがあるじゃないですか。『ママがロックンロールしてたころ』にはそういう響きがしないんだな。全部ストレートなパワーコードが聴こえてくる。そこに胸がすくんですよね。
 パワーコードってどういうことかというと、つかんだら離さない力があるコード。ピアノを習い始めるときにまずみんなが覚えるCというコードがあって、それはドミソという和音なんですね。ド、ミ、ソって弾いた後に、その二個隣のシを弾くと、ふわあっとお紅茶でも飲みたいような気持ちになるんですよ。東山さんの小説にはそのシが入ってない。腰をふにゃっとさせない。だからパワーコード。ふにゃあっとさせてくれないのが気持ちいいんですよね。それは東山さんの小説すべてに言えて、最初に読んだ『流』にはまった理由がそれでした。
東山 今、ゾクッとしました。シの話とか、絶対作家同士の話では出てこないから。音を文章で表現することはあっても、自分の文章を音で表現してもらうのは、はじめての経験です。
佐橋 ド、ミ、ソの次に、シをフラットにした瞬間に東山彰良の文体が聞こえてきました。ブルースコードになるんです。シをフラットにしただけで、「僕」という字が太字になるイメージです。思いつきだけど、東山さんの作品の匂いを言い得ていると思います。東山さんの作品にはおしゃれな、しゃらくさいコードが出てこない。パワーコードに尽きる。もっと言うと、音楽的にはバックビートがちゃんとしてる。いわゆるロックンロールだと、ドッ、ダッ、ドッ、ダッという、二拍、四拍のバックビートがしっかりしているんですよ。
東山 自分では意識していませんでしたけど、僕は書くときに絶対音楽をかけるので関係があるのかもしれない。そのシーンに合った音楽を考えてかけるんですけど、書いている場面と合ってるときは邪魔にならないけど、合ってないとうるさく感じる。これは間違った音楽だなって、かける曲を変えたりします。
佐橋 作品ごとに何の曲がかかっていたか知りたいですね。東山さんの作品に僕が惹かれていた理由が今日分かりました。カウントを出し始めたところから、一気にエンディングのジャーンまでいいグルーヴが途絶えない。その感じが好きなんだな、きっと。東山さんの小説にはワン・グルーヴで突き抜けるビート感と、パワーコードの爽快感が(あふ)れています。
東山 複雑なテンションコードとか使い切らないですもん。
佐橋 いいじゃないですか。雰囲気を変えたかったら、ギターソロを延々やって変えるという、そういう世界。まさに音楽、ロックですよね。『ママがロックンロールしてたころ』は音楽が好きな人たちにぜひ読んでほしいし、こんな小説があるって知ったら飛びつきますよ。僕に、音楽業界でお手伝いできることがあったら、いつでも言ってください。

「小説すばる」2026年4月号転載

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