上杉謙信が同性愛者である根拠

生涯独身を通した上杉謙信は、本当は女性だったとか、同性愛者であったとかいわれる。

さすがに女性というのは無理があるが、同性愛者の根拠とされるのは、関白の近衛前久が知人の僧侶に宛てた手紙だ。

上杉謙信は同性の僧侶に手紙を送っていた(写真/shutterstock)
上杉謙信は同性の僧侶に手紙を送っていた(写真/shutterstock)
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そこには、謙信が上洛したとき、「彼が華奢な若衆をたくさん集めて夜更けまで大酒を飲んで楽しんでおり、たびたび夜を明かすこともあった。謙信は大の若衆好きだという」と記されているからだ。若衆とは、男色の相手役となる少年のこと。

ただ、歴史学者の山田邦明氏は、この説を明確に否定している。手紙の文中で若衆を集めて「夜通し酒を飲んだのは義輝と前嗣で、景虎の動きをこの書状から直接うかがうことはできない」(『人物叢書 新装版 上杉謙信』吉川弘文館)というのだ。

義輝とは将軍・足利義輝のこと。前嗣とは近衛前久、また景虎は謙信のこと。確かに文中には「少弼(景虎)は若もじ(若衆)数寄の由、承り及び候」とあるが、これは「謙信も若衆が好きだと聞いていますよ」という噂を書きとめたにすぎない、と山田氏は同書で述べている。

おそらく謙信が生涯不犯を通したのは、仏教(ことに毘沙門天)に帰依していたからだろう。幼い頃、名僧・天室光育の薫陶を受けて深く仏教を崇敬し、京都大徳寺に参禅したり、二度も高野山へ参詣しており、四十五歳のときには剃髪している。