現職敗北の理由

選挙の結果も僅差だった。人口7万9000人(当時)の市で票差は1665票。選挙後の声の中には「多選の中貝氏にお灸を据えるつもりで関貫氏に入れたが、まさか当選するとは思わなかった」というものもあった。

中貝氏の落選の理由は複雑だ。コロナ禍で、多くの人々が行政に何らかの不満を持っていた。多選批判もある。しかし、市民の行政に対する無理解、あるいは行政の側の説明不足もあった。

兵庫県豊岡市 (写真/Shutterstock)
兵庫県豊岡市 (写真/Shutterstock)
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たとえば中貝氏は選挙期間中、芸術文化観光専門職大学の誘致の実績をアピールした。それは現職市長として当然のことだろう。しかしこれは、あとからわかってきたことなのだが、市民の中には、豊岡市が多額の負担をして大学を作ったと思っていた方が多くいた。中貝氏が実績をアピールすればするほど、そのイメージは強くなった。

大学開設にあたって、豊岡市は8億円の寄付と、約5億2500万円で買収した大学用地の無償貸付を行った。前者は総務省からの特別地方交付税、後者は市の地域振興基金からの支出だが、やはりその3分の2は地方交付税の積立金を使っている。

すなわち芸術文化観光専門職大学開学にあたっての豊岡市本体の実質的な負担額は約1億7600万円だったことになる。

この負担額の少なさに、開学後に本学を見学に訪れた他の自治体の方々は驚嘆の声を漏らした。言葉は悪いが、豊岡市は「とてもうまくやって」県立大学を手に入れたのだ。

教職員や学生の移住によって、地方交付税だけでも毎年5000万円近く押し上げられる。この点一つだけ取っても、豊岡市は先の自主負担額を4年程度で回収したことになる。

兵庫県の負担は校舎の建築費用だけで約70億円。その多くは地元企業が受注した。ただし企業の側は、そんなことは大っぴらには自慢できない。開学後は地元採用の職員などの雇用も生まれた。学生、教職員で400人のコミュニティだから、直接消費だけでも5億円はくだらないと言われている。何より大きいのは、そのほとんどが外からもたらされた「純増」だという点だ。

市長選後、市内の講演会でこういった数字を説明するたびごとに「もっと早くきちんと説明してくれればよかったのに」という声も聞いた。

だがおそらく、平時にこの説明を聞いても、市民の頭には染み込んでいかないだろう。選挙戦になって、「医療費無償化か、演劇祭か?」と急に問われれば、多くの市民は前者を選ぶだろう。止めどなく流れるフェイクニュースの真偽を吟味する時間もない。

文/平田オリザ

寂しさへの処方箋 芸術は社会的孤立を救うか
平田 オリザ
寂しさへの処方箋 芸術は社会的孤立を救うか
2026年2月16日発売
1,056円(税込)
新書判/256ページ
ISBN: 978-4-08-721401-7
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著者は2001年刊行の『芸術立国論』で「日本再生のカギは芸術文化立国をめざすところにある!」と提案した。
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