二つの不幸
社会学の基礎的な概念に「ゲマインシャフト」と「ゲゼルシャフト」がある。ゲマインシャフトとは地縁や血縁などで結びついた自然発生的なコミュニティのことを指す。一方、ゲゼルシャフトは、利益や機能・役割によって結びついた人為的なコミュニティを意味する。
古典的な社会学では、近代化の過程で社会はゲマインシャフトからゲゼルシャフトへ移行し、人間関係は疎遠になっていくと考えられてきた。しかし1980年代まで、日本企業は「家族型経営」を標榜し、労使対立は欧米ほどには激しくなく、古典的な社会学の理論だけでは説明できない要素を多く抱えていた。
地縁血縁であれ企業であれ、それは一つの共同体で、そこに帰属していれば人間の孤立は、とりあえず避けられてきた。
しかし今世紀に入って以降、この二つの基礎的な社会基盤がどちらも危うくなってしまった。ただし日本の課題は「微温的格差」だ。
したがってヒステリックに危機を煽ることは冷静さを欠く議論となるだろう。そこでこの「どちらも危うくなってきた」という点を、もう少し詳しく考えていこうと思う。
貧困や孤立の問題について、よく専門家は「二つの不幸が重なると、日本においても、人々はあっけないほどに底辺層に追い落とされる」と語る。
「二つの不幸」と書いたが、それは一つひとつを取ってみれば「不幸」とさえ言えないものかもしれない。たとえばそれを前述の文脈で整理するなら、以下のような例になる。
ゲゼルシャフト(利益共同体=企業)……夫の栄転を伴う異動
ゲマインシャフト(地縁血縁型共同体=家族)……妻の出産
以上、どちらも単体ではめでたいことだ。しかしこの異動が小規模支店への支店長待遇の単身赴任であり、妻の出産も産後のひだちが悪く、少し産後鬱気味になったとしよう。
夫の支店は決算期でなかなか家に戻れない。あるいは支店にも類似の理由(産休など)で部下に欠員が出る。やがて乳児の発育に小さな問題が発見される。ネット上には、フェイクニュースも含めたさまざまな育児情報が氾濫し若い夫婦を翻弄する。
「夫が育休を取ればいいではないか」と多くの人は考える。もちろん私もそう思う。しかし、ほんの少しのためらい、普段なら問題にならない程度の休暇の取りにくさ(制度的には取れないわけではないが、取りたいときに取れない)、職場の雰囲気、若い母親を取り巻く孤独な環境、義父・義母や実家との微妙な関係……さまざまな相互作用で不幸は連鎖する。













