「戦略的に曖昧」なのではなく、「支離滅裂」
「アンビバレンスとは、政党が異なる発言を行い、それぞれ単独では明確であっても、全体として見るとその政党の立場がどこにあるのか不確実性を生じさせる状況を指す。(中略)アンビバレンスは、曖昧さよりも効果の低い戦略である。なぜなら、それは政党を一貫性がないという批判にさらすからであり、有権者は一般的に一貫性のなさを嫌うからである」
旧立憲民主党と公明党の合流は、まさにこの「アンビバレンス(相反する感情や考えを同時に持つ状態)」の極みだった。
片や安全保障関連法を違憲と叫び、片やそれを容認して政権の中枢にいた。片や原発ゼロを掲げ、片や再稼働を容認する。それぞれの主張は(かつては)明確だったかもしれないが、一つの政党として発信された瞬間、それは巨大な矛盾の塊となった。
有権者から見れば、彼らは「戦略的に曖昧」なのではなく、「支離滅裂」だったのである。
高市早苗の「ずる賢さ」は、自らを「Vague(漠然とした期待感)」の霧で包み込み、リスクを回避しつつ、リーダーシップという虚像を増幅させた点にある。
最もやってはいけない自滅の道を選んだ
彼女は、有権者が具体的な公約違反には厳しいが、漠然とした方向性の提示には寛容であることを本能的に知っていた。だからこそ、相手の具体的な政策(ガソリン減税など)を「私の悲願」という大きな物語の中に回収し、論点を「私を信じるか」という一点に集約した。
対して、中道改革連合は、高市首相が設定したこの抽象的な土俵の上で、具体的な矛盾を露呈し続けた。「高市は危険だ」と叫べば叫ぶほど、その声は有権者には届かず、むしろ彼ら自身の「決められない」「一貫性がない」という負のイメージを増幅させた。
彼らは、現代の選挙戦において、最もやってはいけない「アンビバレンス(相反する感情や考えを同時に持つ状態)」という自滅の道を選んだのである。それは結局、高市氏が描く物語の脇役を演じたに過ぎない。
戦略的な「曖昧さ」で民心を掴んだ勝者と、野合による「支離滅裂」で自滅した敗者。この対比こそが、現代政治における冷徹な勝負の分かれ目であったと言えるだろう。
文/小倉健一












