ベネズエラで起きた国家の空洞化は、遠い異国の話ではない
マグロ市場で起きているのは、力による価格の演出だ。誰かがここに価値があると決めた瞬間、価格は跳ね上がる。しかし、その熱狂が去った後に残るのは、報われない現場と、空洞化した構造である。
国家も、経済も、労働も、同じ運命を辿る。力による秩序は、短期的には合理的に見える。しかし長期的には、管理不能な疲弊を内部に蓄積する。
驕りとは道徳の問題ではない。自己修正能力を失った状態を指す言葉だ。いま起きているのは、派手な崩壊ではない。むしろ、静かで、気づきにくく、しかし取り返しのつかない変化である。
回っているうちは問題ないという思考が、誰にも止められなくなっている。しかし、回転を支えているのが誰で、どこに限界があるのかを直視しない限り、宴の後には必ず、片付けきれない現実が残る。
ほうっておけば経済の逆回転が起きる。それもそう遠くない未来に。
ベネズエラで起きた国家の空洞化は、遠い異国の話ではない。5億円と783万円の断絶も、70万人分の免許が眠る現実も、支持率の数字に守られた政治の鈍化も、同じ構造の別の顔である。
そして日本は、すでにその入口に立っている。宴は、まだ続いている。しかし二番マグロの値札と、医療現場の悲鳴は、確実にこう告げている。この国は、もはや力だけでは回らない。
取材・文/木戸次郎













