「技術の十合目」まで駆け上がる
松岡 ひとつの家具をつくるにあたって、デザインもするし、ものもつくる。そうなったとき、「ものがつくれるからできるデザイン」というものが当然出てきます。「どういう手順を踏んで、どういう道具を使って、どういう加工をして、強度はどれくらいで」とか、自分の技術と経験から、その家具をつくるのに必要なことを全て踏まえて、デザインをするんです。
それにはいい部分もあるけど、悪い部分もある。それは、自分でつくるから面倒くさいということ。(笑)「ここをこう加工すれば、絶対に座り心地も良くなる、強度も強くなる、でも面倒くせえよな」みたいに、技術的な難しさが、デザインしている時点で全部わかっちゃうんです。デザイン画を描きながら、自分の苦手な部分を無意識に避けて通ろうとしているのがわかる。でも、その苦手意識を克服できれば、次からはそこを避けずに突き進むことができる。
たとえば、「刃物が切れないから、この削りはちょっと難しい」と思うのなら、刃物がよく切れるようになれば、そんなことを思わないで行けるようになる。だから技術が上がっていくと、つくり手としてデザインするときのネガティブな部分を、どんどん無くしていけるんです。
塚原 技術が上がることで、デザインの自由度も上がっていくということですね。ということは、初期のスケッチとか家具を見ると、「まだ技術が足りていなかった」と思いますか?
松岡 ああ全然、それはそう。まだまだ、もっともっとと思えるから、今も続けている。今がゴールだなと思ったら多分やめちゃうし、納得いかない。「俺、こんなもんじゃないはずだよな」って思いながらやっているから、練習は終わらないですね。絵を描く練習、鉋の練習、刃物を研ぐ練習、今でもしている。しごとで必要だから研ぐとかじゃなくて、マジで練習するためにやっています。
塚原 練習の数をこなすことで、腕って上がりますか?
松岡 そうですね。絶対数は大事。最低限この数はやらないと、何千回、何万回か、何千時間なのか何万時間なのかという、何かを得るために最低やらなきゃいけない反復練習は絶対必要で、それをやったことない人は何もできないと思う。
塚原 一定数を超えると、わりとどんな形でも削り出せるようになるんですか?
松岡 そうだと思うけど、技術の習得には段階があります。最初のうちはずっと坂道を駆け上がっていくみたいな、練習して練習して伸びていって、ぐっと伸びていく瞬間ってあって、ある一定のところまで行くとフラットな平地がある。
そこまで行くと、その坂道の技術は習得したというか。で、また次の坂道があって、そこを上がってフラットなところまで行くと、安定して自分の技術として手に入るみたいな。でも途中でやめちゃうと、ずるずると戻っていって、せっかく九合目ぐらいまで行っていたのに、また四合目からスタートする羽目になる。
技術に関しては、絶対十合目まで行ってから一休みしないと戻っちゃうから、一度は必ず十合目に到達しないといけない。それをしないと、いつまで経っても同じところをうろうろして、時間が過ぎていくだけ。それは何を目指すにしても、同じことではないかと思います。
鉋の薄削りとか、死に物狂いでやったのは半年ぐらいかな。最初の3か月ぐらいで、自分で「ゴールはここまで」と決めておいて、そこまでは大好きなサーフィンもしなかったし、他のことも一切何もせず、空いている時間は鉋に全部につぎ込んで、一気に十合目まで駆け上がった。それで一旦安定して、そのもう一歩上があったから、そこを駆け上がって安定してというのが今の状態。
だから今、鉋を引けと言われたら3ミクロン、一流と言われる薄さの三分の一ぐらいまでの削りかすを、いつでも出せる状態です。(※3ミクロンは1000分の3ミリ=0.003ミリ)。髪の毛の細さが50〜100ミクロン)「いつでもやれる」ということが大事で、それは安定して自分の技術として手に入れたということです。















