機能を追求すると美しいフォルムに着地する
松岡 家具をつくるとき、作業中は何も考えてないですけれども、デザインをして新しい家具を生み出すときは、とにかく「機能の追求」ということを大事にしています。自分はアーティストじゃなくて職人なんで、職人って何かというと「道具をつくる人」なんですよね。
たとえば、椅子というのは「座る道具」という考え方をすると、求められる機能って「座り心地がいい」とか、「持ち運びしやすい」とか、そういったところがまず大前提にあると思って、そこを突き詰めていくというのが、最初に設計していくときに考えることです。
逆に、「こういう形の椅子をつくりたい」とか、「こういうラインを描きたい」とか、そういうことは一切考えない。それを考え出すとエゴにまみれていくというか、「この形を出したい」という俺の意思が入り過ぎるとゴチャゴチャしてくるんです。だから、「機能だけを追求していくと、結果的に美しいフォルムに着地する」と思っていて。
それは何でかな? と思ったときに、単純に人間の体に合わせてつくるんだけど、「人間の体って美しい」というところで、人間の体が心地いいものをつくっていったら、その美しい体のとおりの美しい造形ができてくる、みたいなことだった。
塚原 今も手描きでデザイン画を描かれるじゃないですか? あれは理由あるんですか?
松岡 そう、だから手描きじゃないと描けない。手で描かないと、「座ったときの心地よさ」をダイレクトに伝えられないから。パソコンを使ったら楽だし、きれいに描けるから、パソコンで描いていた時期もあるんだけど、やっぱり手描きだなと思って。逆に手描きでやっていて、自分の絵が下手だと、それも細かいニュアンスがダイレクトに伝わらないから、絵の練習を始めたり。マジで毎日スケッチの練習してるんですよ。たとえば冷蔵庫の中からバナナとかピーマンとか持ってきて、それをモチーフにスケッチするとか、棚に乗っている骸骨とか恐竜とか三角や丸のオブジェも全部スケッチのためのモチーフで、毎日何かを描いています。
そうしてデッサンの技術が上がると、自分の思い描いている「椅子としての座り心地のよさ」をダイレクトに線にできるようになる。木工デザインの基礎の基礎は「絵」だなと思って、毎日そこから練習しています。
塚原 デザイン画を描きながら、「木を削って椅子をつくっている」感じをイメージしている。
松岡 そうそう。削りとかも、「ここで絶対削っておいたほうが、肘を置いたときに気持ちいいな」とかイメージしてる。逆に機能的に必要ない部分、たとえば体には触れない部分の触り心地とか、または強度とかに必要ない部分は全部削り取りたい。要らないところは全部削りたいんですよ。だから、その辺とかもデザイン画を描きながらシャドウを入れて、シャドウを入れるときは、鉋とか刀で削るイメージで描いていく。「ここはこう削って、大体これぐらい削れるな」みたいに疑似製作しながら描いていくから、手描きじゃないと難しいんです。
塚原 木は一個一個形が違う中で、同じような形の椅子をつくる。別々の個性の木を、大体自分の思い描く同じような形にしていくわけじゃないですか? そのときの「木との間合い」の取り方は?
松岡 基本的に、木に言うことを聞いてもらう。または言うことを聞いてもらいやすい木目を選ぶ。たとえば「強度的に弱い」とかという木は避けて、まず強度のことを考えて木を取っていくから、その中で「座り心地」という着地点につくにはこのフォルムだし、この造形だしというのは決まっているので、そこに向かって突き進んでいく。
中にはやっぱりどうしても駄目な木もあって、そのときは製作の途中でやめます。でも、刃物のレベルが上がってくると、それもほとんどないかな。何でも刃物に言うこと聞かせられちゃうというか、「切れないものがない」みたいな状態になるから。
塚原 それも一個一個、刃の当て方は違うんですか?
松岡 そう。刃を入れる方向が、この辺はこうだし、この辺は逆だしとか、全部変わっていくんです。そういった「木目の変わり目」を一周削るうちに覚えていって、最後の繊細なラインになってきたときに刃物の方向を間違えないようにする。そこで間違うと、パリッと欠けちゃう。そうなると、もう使い物にならないから。
塚原 それは「木に言うことを聞かせる」ために、「木の言うこと聞かないといけない」みたいなことですか?
松岡 そうそう。だから、俺は最終的には木目の言うことを聞く。基本は木に言うことを聞いてもらって、「座り心地のよい椅子」という着地点に到達するために、削る過程では木目の言うことを聞く。
塚原 うまくいかないときって、どういうときなんですか?
松岡 どういうときだろうな? 気づいたらうまくいってないという感じなんだよな。すごい手数かかっていて、気づいたときには、「あれ、うまくいってねえ」みたいな。どういうときって具体的には言えないけど。
塚原 うまくいっているときは?
松岡 何も考えてない。何も考えないで、どんどんどんどん進んでいく。
塚原 刃の向きというのも、体が覚えている感じになっちゃう?
松岡 体が覚えてくれて、自分の思ったとおりに体が動くし、それすら考えてない。何にも考えてない。「今日の晩御飯何食べようかな」とか、そんなぐらいのことを考える。うまくいかないときは、なにか思い詰めたような感じで木と向き合って、「ここはこうして、ここはああして……」とかいろんなことを考えながら削っている。そういうときはうまくいかない。















