フランス料理店を一晩で破壊、皇居の近くで大喧嘩…数々の武勇伝
お店に入ると、すでに出来上がった客であふれるカウンターの端に、粋なハットをかぶった紳士がひとり。常連客からは“山ちゃん”の愛称で親しまれる85歳の名物客だ。
開口一番、「地蔵通りに黒山の人だかりができているときは、だいたい俺が喧嘩しているときだ!」と豪快に笑う。
1940年、日中戦争が激化するさなかに静岡県で生まれた山ちゃん。子どもの頃から“暴れん坊”として名を馳せ、高校進学は自然消滅。16歳で上京し、虎ノ門の蕎麦屋に住み込みで働き始めることになった。
そんな山ちゃんの上京の動機はロマンチックだ。
「俺は美空ひばりが大好きでな。ひばりに会いに東京に来たようなもんだよ!」(山ちゃん、以下同)
と言いながら、上京して真っ先に向かったのは皇居だった。いったい、なぜなのか。
「田舎もんだから‼ 皇居を見てみたかったんだよ‼」
初めて見る皇居に感動し、観光気分で周辺をうろついていると、突然、若者5人に絡まれた。1対5の喧嘩を始め、「最終的にボコボコにしてやった」と胸を張る山ちゃんだったが、本人もかなりの痛手を負ったという。
「5人相手だったから俺もダメージ大きかったよ。夜にクタクタになって皇居の広場で倒れてたらさ、懐中電灯でバーッと照らされてよ。目を開けたらお巡りさんだった。そのまま交番に連行されて、そこで一泊。朝になったら蕎麦屋の社長が車で迎えに来たんだよ」
こうして正式に蕎麦職人としての修業が始まった山ちゃん。しかし、いつまで経っても肝心の蕎麦は作らせてもらえず、延々と出前の毎日。「こんなのやってられるか!」とブチ切れ、1年足らずで店を飛び出したあと、六本木の米軍御用達の洋食屋で腕を磨いた。
その間にも、客として訪れた虎ノ門のフランス料理店を「接客態度があまりにひどかった」という理由から、「一晩にしてぶっ壊した」こともあったと豪語する。本当に壊したのか…真偽は不明だが、本人いわく「営業できなくなるほど、形あるものは全部粉々にしてやった」という。
最終的には警察に連行されたものの、なぜか店側と和解が成立し、無罪放免となった。
そんな人生ハードモードの山ちゃんにも、ついに恋の風が吹く―。















