理不尽な怒りを中国政府に向けず高市首相に

12月1日。日付が変わったばかりの深夜、ある一人の政治家がSNSに投稿した言葉に、私はめまいにも似た既視感を覚えた。それは、かつて「最低でも県外」という言葉で日本の外交を大混乱に陥れ、総理大臣の座を追われた男、鳩山由紀夫氏の言葉である。

彼は、上海公演が直前で中止になった歌手の浜崎あゆみさんのエピソードを取り上げ、こう述べた。

「浜崎あゆみさんはエンターテイメントは人と人を繋ぐ架け橋だと、上海公演が中止となり無観客の中でも予定通り歌われたそうだ。感激した。しかし高市首相の軽率なひと言でどれだけ多くの人を傷つけ国益を損なっているか測り知れない」

歌手が歌で人々を繋ごうとする姿勢。それは純粋に美しいものであり、称賛されるべきだろう。だが、なぜその美しいエピソードを、自国の総理大臣を背後から撃つための弾丸として利用するのか。

そもそも、公演が中止に追い込まれた直接の原因は、中国当局の判断にあるはずだ。それなのに、なぜその理不尽さに対する怒りを中国政府に向けず、日本の高市早苗総理に向けるのか。

(図版/共同通信社)
(図版/共同通信社)

もはや鳩山由紀夫氏と瓜二つ

相手国の非には目をつぶり、ひたすら自国のリーダーを攻撃する。この「内弁慶」で「外国に弱い」奇妙な精神構造。私たちはかつて、これを「悪夢」として経験したはずだ。

だが、その悪夢は終わっていなかった。今、別の政治家によって、その精神が蘇ろうとしている。

その男の名は、石破茂。

つい先日まで総理大臣の椅子に座り、そして国民からのあまりに不人気っぷりが原因で、短命でその座を降りた男である。彼が今、行っている振る舞いは、もはや鳩山由紀夫氏と瓜二つだと言わざるを得ない。

高市首相が中国の脅威に対して発言すると、まるで条件反射のように横から口を挟み、足を引っ張る。

その論理の根本には、「高市早苗首相だけでなく、中国も批判すべきだ」という、主権国家の政治家としてあまりにも当たり前のバランス感覚が欠落している。

総理大臣経験者として、彼のこの姿勢は断固として批判されなければならない。