我が子が人殺しになったとしても「しょうがない」

だけど、1度目の結婚が破綻したあと、子供を作るのは生きていく上で実は重要なんじゃないかと思うようになりました。理由は大きくふたつ。

ひとつは、僕の妹の変化です。妹は昔は、人間的におもしろいとは思えない奴だったんですけど、子育てをするようになったら、人間としての魅力がぐっと増したんです。

もうひとつは、言うのも恥ずかしいですが、今の妻を愛しているから。愛しているから、もし子供が人殺しになったとしても「しょうがない」と思えるようになった。「しょうがない」と思えるような相手と結婚できた、とも言えます。

写真はイメージです(PhotoAC)
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前の妻を愛していなかったわけではありません。でも、子供が人殺しになっても「しょうがない」と思える相手ではなかったのは確かです。もし「しょうがない」と思えることが愛だと言うなら、前の妻のことは「愛していなかった」んでしょう。

前の妻と結婚していた20代の頃は、頭を使って考えすぎだったと思います。離婚して30代も半ばを過ぎ、ようやく現実と向き合うようになりました。今では、若いうちから子供を作って育てている人のことを、心からすごいと思います。

喪失感はない

我が家のオペレーションを軽く説明すると、子供ふたりの保育園の送り迎えは妻の担当で、妻がどうしても行けないときは僕。僕も妻もリモートワークOKの会社なので、平日の日中にふたりとも家にいるときは、一緒に外へ昼食を食べに出ます。

夕食作りは妻担当で18時ごろ。子供ふたりに食べさせるのは大変なので、僕は極力、夕食の時間には家にいるようにしています。洗濯は僕が担当で、洗濯機を回して、乾燥機で乾かして、畳むまで。僕も妻も、子供が寝たあとの21時くらいから23~24時まで仕事をしていることが多いですね。

先日、妻がかなり深夜まで仕事をしていたので「健康上やめたほうがいい」と言ったら、結婚後初めて妻が僕に怒りました。あなたは自由に仕事してるのに、私だけ制限してずるいと。もっともです。反省して、月曜日の夕食作りだけは僕の担当にしました。献立を考えるところからです。

写真はイメージです(PhotoAC)
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当然ですが、子供が生まれる前に比べて自分に使える時間は激減しました。こんなにも夜に出かけられないんだというのは正直想定外でしたし、好きな映画も全然観られなくなりました。

結婚して子供ができたことでインプット時間が減り、仕事に支障が出る――という人がいるじゃないですか。知り合いの作家さんの中にも、「子供ができてから数年間、本をまったく読めなかった」という方がいます。確かに僕もインプットは減ったと思います。

だけど、喪失感はまったくないんです。だって、子供を育てるのはすごく面白いから。

特に4歳くらいまではめちゃくちゃいい時期です。子供が文字どおり日々進化する。できることや語彙が、毎週・毎日のように増えていく。

写真はイメージです(PhotoAC)
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僕がリモートワークの許される職場で良かったですよ。毎日会社に行っていたら、この面白さが感じられない。あまりにもったいないです。

それに子供と触れ合っていると、自分が育ってきた「舞台裏」を見ている気になるんです。

たとえばクリスマス。子供がサンタ宛てに「プレゼントに何が欲しいか」の手紙を出すんですよ。親が代筆して。で、イブの夜、子供が寝てる部屋にそーっと入ってプレゼントを置いて、そーっと出る。翌朝、子供の部屋から歓喜の声が聞こえるんですよ。「うわーーーーー」って。これが最高にエモい。ああ、親視点だとこういうことだったんだ、って。数十年ぶりの答え合わせみたいなもの。

子供ができてからの生活の変化は避けられないけど、そんなこと以上に、引き換えとして得るもののほうが多かった。喪失感がないというのは、そういう意味です。