そして危篤へ……
入院から2週間ほどが経つと、いろいろと容態がわかってくる。僕は半分ラリりながら寝ていただけだけど、妻は当時以下のような説明を受けたという。
◎お腹の痛みはないが骨盤あたりまで広範囲に炎症が残っている。とはいえ以前と比べると炎症部分は膜に包まれてきて収束へ向かっている状態。
◎膵臓はほとんど壊死してしまっている。炎症が落ち着いたときにどれくらい機能が残っているか……というところ。
◎細菌等による感染の兆候はまだ確認できていない。感染が発覚次第、今後壊死組織や腹水を外に出す措置が必要になる。全身に菌が回ると大変危険なので注意深く観察している。
◎アルコール離脱症状はもう終わった。透析も鎮静も不要、人工呼吸器も負担が少ないタイプになったし、先週とはまるで状況が違う。
要するに「油断はできないけれど最大の山場は越えたね」という感じ。相変わらずしんどさはあったものの、最悪の状態は脱して、ようやく状態が上向きになりつつあるといえるようだった。
実際、ただ寝ているだけではなくリハビリも始まっていた。先生たちに支えられながらではあったけどベッドを下りて自分の足で立ち上がることもできた。その日の僕は「このままがんばれば自分の足でうんちをしに行けるかも!」と喜んでいた。
2日に1度のZoom面会も大きな支えになっており、妻や看護師さんたちもいろいろと励ましてくれた。「もう少しよくなったら水を飲んだり声を出したりすることもできるかも」と言ってくれて、僕も笑ったりピースをしたりして応えていた。
入院から約半月。みんなホッとしていたし僕もホッとした。その直後「緊急手術」が始まってしまうのだから人生とはわからないものである。
なぜ順調そうに思えていた中で、急転直下の緊急手術に至ったのか?
正直、僕はよくわかっていない。だってほぼ気絶してたから。毎日朦朧とする意識の中で病室の天井を見つめながら、ただ「生きる」をやっていただけだから細かい事情は知らないのだ。よくわかんないけど気が付いたらお腹を切られていた。
そんな病人の記憶は役に立たないので、ここは妻が記録していた闘病メモを紐解いてみよう。
感染性壊死性膵炎かつ、早期の外科的治療への発展など総合的に見て重症の中でもかなり悪い=一番生存率が低い病状に該当します。
(2022年11月12日 妻から友人への報告メモより)













