山上被告の兄は2015年に自死
山上被告の一家が母親の信仰によって追い込まれていった経緯は、集英社オンラインが、事件から半年後、山上被告の「庇護者」となっていた叔父に取材した際にも語られている。
叔父は、「私のお袋が生きているときは、よく徹也(山上被告)含めてきょうだい3人と駅で待ち合わせて、ご飯を食べて、様子を聞いては、小遣いを渡してたんですよ。当時、私は仕事していて、会えないから、お袋が私の家内に言うわけですよ。『(山上被告たちが)困窮してるから、いくらほしい』って……。それを言われるがまま、私がお金を渡していたんです。
弟(山上被告の父)が亡くなった翌年の1985年から、A子(山上被告の母)が統一教会に走った事実を知った1994年まで、ずっと支援していました。しかし、1998年にA子の父親が亡くなり、支援を再開し、2017年まで支援を続けました」と証言している。
冒頭陳述では、山上被告のさらに過酷な半生が明らかにされた。1999年に高校を卒業後、大学進学を断念した山上被告は2002年に任期制自衛官として海上自衛隊に入隊。しかし、「適応できず、その後母が自己破産していたこと」を知り、2005年に「自殺を図り、自衛隊を退官」するに至ったという。
その後、派遣社員などを転々としたという山上被告について、検察側は「自分自身が思い描いていたような人生を送れておらず、それは母が信仰していた旧統一教会が原因だと考えるようになり、旧統一教会への恨みを募らせていった」としている。
検察側はさらに、山上被告が犯意の導火線に火をつけるようになった出来事についても指摘している。それが兄の自死だ。
「山上被告の兄は2015年に自死していますが、検察側はその兄について『母による旧統一教会への多額の献金などを恨んでいた』と指摘しています。兄は幼少期に大病を患っており、山上被告は自身のものとみられるTwitter(現・X)で『生後間もなく頭を開く手術を受けた。10歳ごろには手術で片目を失明した』とも綴っています。
兄を襲った病魔が、山上被告の母を信仰に走らせた動機のひとつとされているのは、なんとも皮肉でやりきれない話です」(前出の全国紙記者)













