活動を始めた矢先にコロナ禍に
――フィリピンの貧困地区の子どもたちをモデルにしたファッションショーも毎年開催しています。
2015年から毎年2月に開催していて、2025年で11回目を迎えました。テーマは「Draw Your Dreams on the Runway(ランウェイの上で夢を描く)」。これまでモデルになった子どもたちの数は400人を超えています。
子どもたちはこの日のためにウォーキングの練習を重ね、地域みんながお祭りのように毎年このファッションショーを楽しみにしてくれています。
――これまでのファッションショーで印象的だったエピソードを教えてください。
あるおばあちゃんが、孫がランウェイを歩く姿を見て涙を流しながら「本当に出てくれてよかった」と喜んでくれたことがありました。子ども本人の成長はもちろん、家族にとっても大切な瞬間になっているのを実感しました。
私自身も、衣装を着た子どもたちに囲まれ、目の前には応援してくれる方々やステージを楽しみにしている家族がいて……。その光景はまるで平和の象徴のようで、本番中に思わず涙がこぼれました。
みんなが自分の夢を表現でき、互いに夢を応援し合える空間が広がっていたんです。続けてきてよかったと心から感じましたし、この連鎖をもっと広げていきたいと強く思いました。
――そもそも国際協力に関心を持ったきっかけは何だったのでしょう?
小学生の頃から、テレビで『世界が100人の村だったら』のような番組を観て、貧困がずっと心に引っかかっていました。大学時代はバックパッカーで世界各地を旅して、1ドルを求めてくる子どもたちを見たり、路上生活をしている姿に触れたりして、「このまま見ているだけではだめだ」と思った。
前職の旅行会社でマニラ駐在になって、毎日ストリートチルドレンと出会い、「無視できない」と行動を始めたのが原点です。それで、旅行会社を退職し、今の企業で働く決意をしました。
――ファッションという手段に惹かれた理由は?
食や住まいに比べて優先度が低いと思われがちですが、衣服には大きな力があります。好きな服を着れば気分が上がり、自分を表現できる。どんな環境に生まれても、誰もがファッションを楽しめる社会をつくりたいという代表の想いに強く共感し、参画することを決めました。
――大変だったことは何ですか?
一番しんどかった時期はコロナ禍です。旅行会社を辞めて、まずはNPO法人「DEAR ME」に参加する決意をした矢先、渡航ができなくなり、先行きが見えずにモチベーションを保つのが大変でした。
フィリピンに戻ってからも、学校や工場の運営は初めての挑戦ばかり。例えば何千枚のオーダーをいただいた際に、「どうクオリティ高い商品をお客様にお届けするか?」「どう人員を配置するか?」など、壁にぶつかることの連続です。
――それでも続けられる理由は?
仲間の存在です。学校の生徒たちや、ショーに参加する子どもたち、ともに働くスタッフは私にとって家族のような存在です。フィリピン人は家族をすごく大事にする国民性なんです。そんなみんなも「coxco Labは第二の家族」と言ってくれていて、この場所をつくってよかったと心から思いました。
――今後のビジョンは?
大きく3つあります。1つは、これまでのカリキュラムを他団体に横展開し、より多くの人々が自立できるようにすること。2つめは、日本とフィリピンをつなぎ、卒業生が日本の縫製工場で働ける仕組みをつくることです。
そして3つめは、世界中の子どもたちが夢を描ける場に広げること。2026年2月にはフィリピン、カンボジア、日本の3か国でファッションショーを開催する予定です。日本では外国籍を含む多様な子どもたちを、カンボジアでは農村部に暮らす子どもたちを対象にしたいと考えています。
――最後に、活動を続ける中で大切にしている思いを教えてください。
ファッションスクールの生徒やファッションショーに出る子どもたちには「自分の人生の主人公は自分」ということを伝えたいです。どんな環境に生まれても、自分の人生を大切にしてほしい。そして自分の得た喜びや希望を周囲に還元し、つながりを広げてほしい。そんな循環をファッションを通して生み出していきたいです。
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貧困地区で暮らす人々とともに未来を紡ぐ小村さんの挑戦は、ファッションを超えて「生きる力」を社会に問いかけ続けている。
取材・文/集英社オンライン編集部