松田優作「これだったら、演る」原作をまるごとひっくり返す大改変…映画『野獣死すべし』の脚本家が明かす、優作との戦いの日々
戦地を渡り歩いた通信社の元カメラマンが、翻訳の仕事に身を隠しながら、一匹の野獣となって、管理社会の安穏とした生活に犯罪で挑む姿を描く――松田優作主演の名作映画『野獣死すべし』は人物描写などに原作との差異が少なからず存在するため、原作とは同名異作の映画とする評価があるが、その背景にあったドラマを脚本を担当した丸谷昇一が明かす。
書籍『生きている松田優作』より一部を抜粋、編集してお届けする。
「俺たち映画をやる者も、時々頭真っ白にしなきゃ」
「頭が真っ白になるって本当だったよ。音楽やる奴、絵を描く人、どこから脳に刺激を与えてるのかと思ってたけど、ここらあたりから、こんな角度で」
後頭部のある部分を指で差して、優作が哲学者のような静かな語り口でつづける。
「俺たち映画をやる者も、時々頭真っ白にしなきゃ。次につながる切り口、角度をいつまで経っても見つけられない」
初の本格的なコンサートツアーでまともに音楽と向きあい、頭が真っ白になったという優作が、『野獣死すべし』初稿台本を持って私の前に座っている。
黒澤も村川透監督も同席を拒み、私とふたりきり。こんなこと許されるのか。
コンサートツアーから戻り、一度頭を真っ白にして直しを入れたという初稿台本。
チラッと見える台本の中身には、ビッシリと変更メモが書きこまれている。
それは自分の役、伊達に関する箇所だけでなく、多くのシーンの組み立て部分にまで及んでいる。
まるでプロデューサーと監督を兼任する、プレイングマネージャー。
「伊達の持つ気配、空気、呼吸。わかってるようでわかってない」
「どこの部分ですか」
「考えろよ」
「どこだろ。わかりません」
「だから考えてないんだ」
「頭、真っ白にしなきゃ、ですね」
「うん。感覚」
「感覚」
「感覚。もっと研ぎ澄ませ」
「はい」
「伊達は、宇宙を抱えこんでる」
「……次元が違い、時間がズレてる?」
「そう。考えてるじゃないか」
いや、当てずっぽうで何か言っただけで……。でも、なるほど。
こういう調子で、優作は初稿の直すポイントを次々に挙げてゆく。
その一つ一つは、かなりの深みをもった暗示的なもので、私がいちいち具体的な映像とセリフにしてゆく作業を伴うが、映画に賭ける優作の魂がそのまま熱気として噴出している迫力がある。それを全く秘匿することなく私にぶつけてくるのは、脚本家(ホンヤ)丸山を信頼してくれた証だと思う。私もへっぴり腰で応えてゆくうちに背スジが張り、この男に選ばれた幸運と恍惚を感じる瞬間がある。
松田優作氏(右)と著者・丸山昇一氏(左)。「第2回ヨコハマ映画祭」授賞式にて。写真提供/鈴村たけし
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文/丸山昇一
2025/8/26
2,200円(税込)
244ページ
ISBN: 978-4797674552
『探偵物語』『野獣死すべし』などの脚本家・丸山昇一が、
没後40年を経てなお輝きを失わない不世出の天才俳優・松田優作との出会いから
永遠の別れまで10年余の日々をつづる渾身の一作!
■「一緒に死んでもいいほど惚れていた、殺意を抱くほど憎かった」──1979年、新TVドラマ『探偵物語』の製作前打ち合わせ。脚本家志望の若者・丸山昇一の前に現れたのは、「むき出しの野心」と「さわると危険」な空気をまとった、サングラスにデニムのスタジャンのスター、松田優作。この「好きな俳優ではなかった」が「存在感がすごすぎる」役者との出会いが、丸山の運命をかえていく。『探偵物語』で脚本家デビューを果たした丸山は、同じく優作主演の『処刑遊戯』で念願の映画脚本を担当。撮影現場で、完成した映画で、松田優作のすごさに感動した新米脚本家。映画の出来ばえに脚本家としての自信も得た。そして、優作主演の大作『野獣死すべし』の脚本執筆という注文が、角川春樹から舞いこんでくる。それは松田優作とのさらなる戦いの始まりであった……1989年、突然の別れを迎えるまでの濃密すぎる関わりを、愛憎入りまじった感情を、脚本家・丸山昇一が初めて自身の筆で書きしるす! 70年代末~80年代の映画業界の熱気と混沌、不世出の大スターの情熱と凄み、脚本家の苦悩と恍惚、を活写した快作!
■回想録本編に加え、松田優作が生前語っていた構想を基に、75歳の優作主演を想定して書かれた探偵ドラマの書きおろしシナリオ『21世紀探偵秘帖 顔(フェイス)と影(シャドー)』を収録!