最後まで問われた覚悟と、別れの瞬間

子どもの人生を守る手段を探し続けた智香さんは、悩みに悩んで妊娠8か月の頃に特別養子縁組にたどり着く。あるNPO法人に電話相談すると心の揺らぎを試されるように、何回も引き止められた。

「もう私の中では養子に出すと決めていましたが『親は? 行政は? どうしても自分で育てられないの?』と何度も止められるんです。『後悔しない?』って。その度に息が詰まりました。

でも、頭によぎるのはまだ顔も見たことのない子どもの安全な生活と笑顔。たくさん悩んで自分でもう決めたことだから『お願いします』と伝えました」

当時の話を細かく説明する智香さん
当時の話を細かく説明する智香さん

妊娠9か月に入った頃、NPO法人の勧めもあり彼女は妊婦専用のシェルターへ拠点を移す。子どもを無事出産して養子に出すという同じ目標を持った仲間と共に出産を乗り越えた。

「一般的な病院で出産する場合、周りは“普通に子どもを育てられる”ママたちしかいないし、母子同室だったから子どもの顔を見るたびに気持ちが揺らぎそうでしんどいなって思っていました。だったら養子に慣れている病院で産めるほうがいいなと。

産後はシェルターで過ごしつつ、子どもにはいつでも会える環境でした。そして1週間後かな。夜中にシェルターの人に呼ばれ『明日子どもが養親さんのところに行くよ』と言われてサインをしました」