血筋もいいし政治家としてのキャリアもある武見氏
「自分の意見を一方的に、ただただポピュリズムで、減税減税の一辺倒で、その社会保障の財源をどうするのか。若い人たちを支援する子育て支援の財源をどうするのか。こうした議論を発することなく、ただただひたすらにポピュリズムで、手取りを増やせ。減税減税だ、保険料を返せと、これでは国の責任は成り立ちません!」
選挙戦最後の演説となった19日のJR蒲田駅前。武見氏は選挙カーの上からこう声を張り上げた。
「なんとしても私は議席を確保しなければなりません」と聴衆に訴えかける姿には悲壮感すら漂う。それもそのはず、この日までの情勢調査で武見氏の劣勢が伝えられていたからだ。
父はおもに開業医の業界団体として機能してきた「日本医師会」の会長を務めた武見太郎氏。「喧嘩太郎」の異名を持ち、医師会とともに薬剤師会、歯科医師会を含めた「三師会」に強い影響力を有した人物。
この父・太郎氏の威光を背景に、当選5回を重ねてきた。さらに麻生太郎元首相を親族に持ち、岸田文雄政権下では厚労相も務めた武見氏だったが、今回の選挙では苦しい戦いを強いられていた。
「血筋もいいし、政治家としてのキャリアもある武見氏でしたが、逆に言うと批判を受けやすいプロフィールの持ち主でもあった。年齢は70歳を過ぎた高齢で、日本医師会から組織的なバックアップも受けている。
しかも世襲議員ときている。特に若い世代からすると『利権ガチガチの典型的なロートル議員』に映るわけです。案の定、今回の選挙は自公政権への逆風をもろに食らい、序盤から厳しい戦いとなっていました」(全国紙政治部記者)
最終日の演説には、そんな崖っぷちの武見氏の応援に、石破首相はじめ木原誠二選対委員長ら党幹部が顔をそろえ、壇上から支援を訴えた。
木原氏は敗北への危機感からか、かつての民主党政権の批判を繰り返し、「私たちは、安倍総理のもとでアベノミクスをやり、菅総理のもとでスガノミクスをやり、そして岸田総理のもとで新しい取り組みをやって、ようやくここまでやってきたんです!」と実績を強調した。
ただ、いまいち浸透していない「スガノミクス」のフレーズを持ち出して聴衆の戸惑いを誘うなど、若干、上滑りの気配も漂わせていた。
この日は、石破首相から「この国の社会保障、武見敬三なくして語ることはできません」と持ち上げられて演説を終えた武見氏だったが、奇跡の巻き返しが叶うことはなかった。