大人社会の都合で次々と埋まっていくスケジュール
テレビの出演などでスケジュールがいっぱいになり、連日マスコミの取材を受けるうちに、プライベートな時間も持てなくなっていった。名古屋の椙山女学園大国文科2年の学生だった二人は、「私たちは芸能界に入ったわけじゃない。学生をしながら好きな歌を歌っていければと思っていた」という。
だが、そうした気持ちを表すことも難しく、大人社会の都合で次々と埋まっていくスケジュールに抗うことができなかった。9月半ばから前期試験が始まるというのに、準備のための勉強は後回しとなり、落ち着いた学生生活に戻ることは不可能だった。
デビューから5ヶ月後にはNHK『紅白歌合戦』への出場も決まったが、それを喜んでいられる状況にはなかった。初出場の記者会見を欠席したのは、大学のレポート提出に追われていたからだったという。
加藤晴子は翌年になって音楽活動を辞めることにし、彼女を音楽に誘ってくれた岡村孝子に話して同意を得た。二人は4枚のシングルと1枚のオリジナル・アルバムを残して、1年半に及んだ音楽活動を休止することにした。
充電期間を置いた岡村が、ソロのシンガー・ソングライターとして、再び音楽活動を始めたのは1985年の秋である。
大学卒業後に就職した加藤だったが、結婚後も二人の交流は続いていて、2007年には24年ぶりにあみんを一時的に復活させている。
ところで、『待つわ』のミリオンセラーに貢献した萩田光雄は、自分がアレンジした膨大な数の作品の中でも特に気に入っている作品として、ほとんどの人に知られていないあみんの『冬』をあげている。
「誰も知らないような曲でいいんなら、あみんのアルバムの中に入っている「冬」っていう曲があって、それは木戸(やすひろ)さんが作曲して、加藤(晴子)さんが歌ったんだけど、ボサノヴァでね。あれ、気に入ってる」
文/佐藤剛 編集/TAP the POP
引用/川瀬泰雄+吉田格+梶田昌史+田渕浩久 共著「ニッポンの編曲家 歌謡曲/ニューミュージック時代を支えたアレンジャーたち」(DU BOOKS)