センバツ時点で見せていた異常なタフネス
翌年のセンバツでは、初戦の北海道栄戦で4安打完封で甲子園デビューを果たす。
2回戦ではダース・ローマシュ匡(元・北海道日本ハムファイターズ)を擁する関西と対戦。延長15回引き分け再試合の死闘の末勝利し、ベスト8に進出した。
夏の甲子園のイメージが強いが、この大会でも231球、103球を投げておりタフさを見せたのだ。
しかし、準々決勝では斎藤は優勝校の横浜相手に力尽きる。疲労困憊の斎藤はいきなり初回から失点し、終始横浜ペースで敗れた。
斎藤はこの敗戦から「日本一」になるために試行錯誤した。そこで生まれたのが右膝を曲げるフォームである。その結果、みるみるスピードが上がっていったのだ。
センバツまでは143㎞/hがマックスだったが、都大会のあとの九州遠征で147㎞/hが出る。その後も、早実グラウンドでの岩手の高校との練習試合では149㎞/hが出たそうだ。
結果的にはフォームを変えてから10日くらいでスピードが上がった。
球速のアベレージは136〜137㎞/hで力を入れると140㎞/hを超えるくらいの感じだったが、フォーム変更後はアベレージが140㎞/hを超えるようになったという。
ここから世間が知る「斎藤佑樹」が誕生したのだ。
夏の大会では西東京大会からタフさと真価を発揮する。
西東京大会の準決勝、春季関東大会に出場した日大鶴ヶ丘戦では最後まで粘り、サヨナラ勝ち。関東大会で優勝をしている日大三との決勝では、延長11回までもつれる試合を競り勝つ形で、甲子園を決めた。
日大三監督の小倉全由氏は決勝について、「普通、夏の予選の場合はイニングを追うごとに投手の球速は落ちてきてしまうのですが、斎藤君は違いました。イニングを追っても球速は落ちないどころか、維持、もしくはそれ以上になるのです。延長に入ってウチが有利かなと思っていたのですが、延長10回表にウチが1点勝ち越したものの、その裏に早実に追いつかれ、11回裏にサヨナラ負けを喫してしまいました。斎藤君を連投させていたのは、暑い夏の大会を乗り切るためのスタミナ作りだったんだなと、後になって気づいたのです」と振り返り、斎藤のスタミナに驚いていた。