「家庭科の先生がいいな」という夢もあった  

――苦手なものや縁遠いものにもあえて飛び込む度胸は、その頃からすでに培われているんですね。

そうかもしれません(笑)。高校は女子校に進学して、クラスの一番前に座って振り返って変顔したりして、みんなを笑わせつつ、先生からはしっかり怒られるようなお調子者でした。

一方で、高校のジュニアレッドクロス(青少年赤十字)部に所属して、全国の赤十字で活動する学生と震災時の避難所のあり方などについてディスカッションをしたりしました。栃木県を代表してシンガポールに行き、献血センターの視察なども経験させてもらえたことは、人生の財産になったと思います。

友人たちはエリートコースに進む人も多くいるのだとか
友人たちはエリートコースに進む人も多くいるのだとか

――昔からのご友人も多く、ご両親からも手塩にかけられてきたたことが伝わってきますが、電撃ネットワーク加入についてどんな反応でしたか。

一番多かったのは、「確かに驚いたけど、キャラクターに合っている」という評価でしたね(笑)。面白いことに、大人になってから出会う人のほうが「意外だった」という反応で、幼馴染になればなるほど「わかる」という共感に変わっていくんです。

両親に関しては、幼い頃からやりたいことを制限されたことがなくて、小学校受験も友人がするのをみて自ら「受験したい」と言ったくらいなんです。

ただ、今回ばかりは父親は私に何も言ってはこないものの、母には「みゆちゃんは止めてもやりたいことやるからなぁ」みたいなことをぼやいていたみたいです(笑)。

直接は聞いてないですけど、両親の考えはわかってるつもりです。道さえ踏み外さなければ、私が決めたことを応援してくれるし、やるからには徹底的に頑張り抜けと言うと思います。私もそのつもりです。

――電撃ネットワークの新メンバーとして、今後の展望を聞かせてください。

これまで、「将来こうしたい」と思っても、いろいろな変遷があってそれが変わって生きてきました。たとえば昔は、両親が公務員で周囲にも公務員の方が多かったので、「先生になりたい」と思っていました。洋服も大好きなので「家庭科の先生がいいな」という夢もあって、大学時代は服飾を専攻しました。

でも蓋を開けてみれば、こうして電撃ネットワークに加入していました(笑)。

一貫性がないようで、常に考えていることは、「今の自分が未来の自分を作るから、ときめく方向に行ってみよう」ということです。今は、せっかく海外でも評価されるパフォーマンス集団に入れていただけたのだから、みんなが笑顔になるような芸を身につけてそれを披露したいです。

ありがたいことに、グラドルとしてはイメージビデオの発売も決まりました。さまざまな方面において特技を活かして爪痕を残せるよう、これからも精進します!

イメージビデオのイベントを控えるなど今後の活躍に期待大
イメージビデオのイベントを控えるなど今後の活躍に期待大
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取材・文/黒島暁生 撮影/杉山慶伍