“母には何も言わず、基本すべて事後報告”親子関係に変化が訪れたきっかけ
――ご家族はTomoyaさんの決断に対してどんな意見を持っていらっしゃったのでしょうか?
僕は基本家族に相談しないで、すべて事後報告なんです。ニューヨークに行った時もそうでした。
父は僕が25歳の時に他界してしまったんですが、父は決して否定せず、なんでも「面白そうじゃないか! やってみろ!」みたいなタイプなんですけど、母は真逆で……。
僕がやりたいと思っていることとか、頑張っていることに対して、あまりポジティブな言葉をくれるタイプじゃなかったので、ある時から相談することはやめたんです。
そんな母が僕の現在の活動を認めてくれたのかなと思う出来事がありました。僕が出版した書籍を、僕の姉づたいに知って読んだらしいんですけど、それからは「あんたよく頑張っていたんだね~」って言ってくれて、やっと認めてくれたみたいで(笑)。
母としては、僕が安定した職業についていなかったこともあって、いま何をしているのかとか、ちゃんと稼げているのかとか、いろいろ不安だったんだろうなと思います。いまはネイリストとしてきちんと稼げるようになったので、母も安心してくれていると思います。
NYの街並み、自然、水の動き……目に見えるものすべてが作品のヒント
――Tomoyaさんのネイル作品は3Dの立体的で幻想的な雰囲気の作品が多いですよね。これらの作品のインスピレーションは何から受けているのですか?
目に見えるものはすべてインスピレーションのもとになっています。例えば現在いるニューヨークの街並みとか、家具の複雑な模様とか……。
あとは漁師時代に見ていた、魚の色や、光り方、そして水の動きもよく観察していたので、ネイルをやり始めた初期は、そういったものに影響を受けていたかもしれません。
幼いころに旅行したハワイのヤシの木や青い空も好きで、そういった自然の生み出す綺麗なものを観察するクセがありますね。
――つい最近では楽曲「MK5」で歌手デビューも果たされていますが、今後新たにやってみたいことは何かありますか?
とにかくネイリストとしての技術をもっと高めていきたいですね。これまではアトリエ作業がメインで、ネイルサロンでお客さん相手に対面でネイルアートをすることの経験があまりなかったんです。
でも肩書が「ネイリスト」である以上、ネイルアートができるようにならないとな、とは思っていて。いまはニューヨークのネイルサロンに勤めて、ネイルアートを極めています。
現在はアシスタントなしで現場に1人で行けるくらいには成長できたのですが、もっともっと上手くなって“最強”のネイリストになりたいですね。
取材・文/瑠璃光丸凪/A4studio