「こんなに頑張ったこと、これまでの人生であっただろうか」
――そこから漁師の道へはどのように進まれたんでしょうか?
浮き輪の会社をたたんでからしばらくはアルバイト生活で、千駄ヶ谷にあるラーメン屋と、歌舞伎町のラブホテルでバイトをしていました。職場には面白い人たちがたくさんいて楽しかったんですが、自分にとってはこのままずっと続けていく仕事ではないなって感じていました。
ラーメン屋ではアパレル関係の知り合いに会うことが頻繁にあり、自分の事業が失敗したことを話さないといけない機会が多くて、最初はそのことが嫌だったんです。
でも、だんだんと「失敗って恥じることじゃない」って思えて、それから気がすごく楽になり、東京という場所に縛られる必要もなんじゃないかって思い始めました。
そんなときに旅行で和歌山県の串本という町を訪れて、とても楽しくて気に入ったので、その後串本のことをいろいろ調べていくうちに、現地での漁師募集の広告を見つけて応募してみたんです。
――もともと漁師に興味があったんでしょうか?
串本を旅行した際に釣りを体験したんですが、それがけっこう楽しくて、漁も楽しいのかもしれないと興味を惹かれましたね。
あとは北海道にいる友達で漁師をやっているかっこいい方がいて、もともと憧れの職業ではありました。でもまさか自分が漁師になるとはそれまで思ってなかったし、自分のなかで“やってみたいけど、たぶんこの先やることはないであろう職業”の上位が漁師だったんですよね。
フレグランス会社の時もですが、今までやったことないことに挑戦してみたいって気持ちは自分のなかで大きいかもしれません。
――漁師を体験するなかで、何か仕事に対する価値観の変化などはありましたか?
すごくメンタルが強くなりましたね。チャレンジしてみると意外となんとかなるというか、できないことはないんだなっていう自信を持てるようになりました。
あとは、全く知らない土地で、ゼロから人間関係の構築をしていったことで、コミュニケーション能力がかなり養われました。この頃の経験は、現在の海外での生活でも役立っていると思います。
――そこからなぜネイリストになったのでしょうか。
漁師をはじめてからちょうど1年経つ頃の年内最後の漁を終えて、港へ帰る途中、ふと「ああ~漁師よく頑張ったな、自分」って感じたんですよ。
まだまだできないことも多くて、毎日怒られていましたけど、それでも自分がここまで何かに対して投げ出さずに根気よく頑張れたことって、今までなかったよなって。達成感というか、自分のなかで一区切りついた気がしたんですよね。
そこでまたモノづくりに対する欲が湧きあがってきたんです。そんななか、当時お付き合いしていたパートナーがニューヨークでネイリストをしていて、「何かやりたいことが見つかるかもしれないから、ニューヨークに来てみたら?」と誘われたんです。
でもニューヨークに滞在し始めた直後に、コロナが流行してロックダウンになってしまい、そんな状況で家から出られない日々が続いたので、パートナーの自宅のアトリエで暇つぶしがてらネイルをし始めたのが最初のきっかけです。
でも、今思い出してみると、実ははじめてネイルに触れたのはこの時ではなくて、高校生の頃なんです。高校生の頃は“ギャルカルチャー”にハマっていて、ネイルも好きだったので、高校2年生の時に母親にお願いしてネイルスクールに通わせてもらっていたんです。
その時はいろいろな都合であきらめちゃいましたが、いま大人になってから再びネイルに巡り合ったことは不思議だし、面白い体験だなと思いますね。