『BUBKA』に持ち込まれるようになった写真たち
『ニャン2倶楽部』を部下に任せて、寺島は1996年に代表作となる雑誌『BUBKA』を創刊する。当初はB級ニュースマガジンだったが、人気アイドルやスター女優の下積み時代の水着やヌード写真などの「お宝発掘」にシフトチェンジすると売れ行きに勢いがついた。
「『BUBKA』が2012年から路線変更して「アイドル雑誌」になって今まで続いているのはほんとうにすごいことなんですよ。寺島さんが創刊した時の『BUBKA』は芸能スキャンダルがメインの暴露系雑誌でしたから。
あるハメ撮り写真が持ち込まれて掲載するとすごい話題になったんです。それで一時期は『フライデー』ではなく『BUBKA』に持ち込むのが一番いいみたいな空気が醸成されていったのを覚えています。
スマホが出る前だったから、撮った写真の仕上がりは自分で現像するしかなかった。編集部に持ち込んでくれたら現像してあげて、おまけにそれをいい値段で買い取るから写真がどんどん集まってくるようになっていきました」
どこに行っても『BUBKA』の功績をほめられるようになった寺島の全能感は上がっていった。
「寺島さんは他の出版社だったら絶対に出世できない人でした。あの頃コアマガジンにいて、才能があるライターやカメラマン、部下との出会いに恵まれて出世ができた運だけがいい人のように見えました。
当時は雑誌が売れているから経費もかなり使えたし、自分は雑誌の売り上げをピンハネできればいい立場でしたから数字だけは見てた。先月の返本率がわるくないならいいやっていう感じですよ」