「迷惑系YouTuber」を彷彿させる暴走の果てに
寺島が遊んで飲んでいるだけの状態になっているのと同時期に、彼の知らないところで部下の暴走が始まっていた。
「コアマガジンはワールドカップよりも短い間隔で次々と逮捕者が出る会社だったし、ドラッグ、セックス、殺人事件に関するコンテンツはみんなあった。
たとえば、『BURST』編集長のPISS・KENさんに聞いたら、社内にふたり“売人”らしき人がいたらしいです。
ほかにも『裏BUBKA』の編集長をやっていた岡崎さんは、部下にスタンガンを持参させて奈良公園で鹿を捕まえようとさせたり、爆弾の作り方を誌面に載せて警察に呼ばれたりもしてました。
彼に当時のことを聞くと「雑誌を作るためなら人を●していいと本気で思っていました」と言ってました。今では信じられませんが、ほんとうにそういう時代だったんです」
樋口氏からコアマガジンの話を聞いていくと、現在における「迷惑系YouTuber」のことが脳裏をよぎった。
「たしかに『迷惑系YouTuber』に近いかもしれないですね。恥ずかしい話ですけど、似ているところはあります。ただ、会社でやっていたし、雑誌を作っているという大義名分があるから許されているという雰囲気がありました。
1990年代後期はいろんなメディアがソフィスケートされてマニュアル化されていくなかで、雑誌だけがある種のアナーキーさを行使できたんです。テレビやラジオや新聞では絶対にできない企画を雑誌だけができる最後の時代だった。インターネットが出てきて移り変わっていく、そんな過渡期だったからみんなちょっとネジが外れていたのもあると思います。
今振り返ると倫理的によくないことだらけだったし、そこはもう反省するしかないです。
それでも、こうやってあの当時の空気感や出来事を書き残さないと、時代の変遷や文脈とかが分からなくなってしまうから、今回本という形にできたのはよかったです。寺島さんの供養にもなりましたし、彼の恥部だけを晒すのはアンフェアなので、自分たちの恥部もしっかり刻みました」
取材・文/碇本学 写真/Shutterstock