信長は自分の誕生日を「聖なる日」とした記録がある

足利義満が果たせなかった天皇を超えようという目論見を、より完全な形で実行しようとしたのが織田信長です。

義満は大国中国の支配者である皇帝の権威を用いて天皇を超えようとしましたが、信長のやり方はもっと根本的かつ画期的なものでした。

そもそも、天皇はなぜ尊いとされたのかを思い出してください。

神の子孫だからですよね。それもアマテラスという最も清らかで尊い神の子孫であるからです。そんな誰もが認めている家系を超えるには、一体どうしたらいいと思いますか?

信長が考えたのは、驚くべき奇策でした。

なぜなら、彼が行ったのは、自分以外の者が持つ権威を利用するのではなく、自らが権威となること、もっとわかりやすく言えば、自分が神になることだったからです。

織田信長像(PhotoACより)
織田信長像(PhotoACより)

私が最初にこの説を唱えたとき、多くの歴史学者が私を異常者扱いしました。宗教という視点を持たない彼らには、天皇の尊さの理由も、そのようなことを信長がする必要性も、まったく理解できなかったからです。

信長は、おそらくこう考えたのでしょう。

神の子孫である天皇の権威を超えるには、自らが神になるしかない、と。彼がそう考えたのは、日本が「人間が神になれる国」だったからでしょう。

菅原道真の例を思い出してください。

菅原道真は平安時代に実在した官僚です。しかしその死後、祟りをなしたと信じられたため、火雷天神、略して「天神」という神に祀り上げられました。

確かにこの点で、元人間の菅原道真は神になったと言えます。しかしこれは、道真が生前計画してやったことではありません。

菅原道真を神として祀る太宰府天満宮(Photo ACより)
菅原道真を神として祀る太宰府天満宮(Photo ACより)

私が信長の目論見が画期的だと申し上げたのは、彼以前に「自己神格化」を目指した人は一人もいなかったからです。

でも、誰も思いつかなかったことだけに、どうすればいいのか、さすがの信長にもわからなかったのだと思います。

そんな信長の試行錯誤を記録している人がいます。イエズス会の宣教師として当時日本に滞在していたルイス・フロイスです。

ルイス・フロイスの記録には、信長は自分の誕生日を「聖なる日」とした、とあります。

聖人の誕生日を祝う習慣は世界中にありますし、クリスマスや花祭りのように神仏の誕生日を祝うという習慣もあります。そういう習慣に則って、信長は自分自身を神に祀り上げようとしました。他にも、安土城を築いたとき、信長は自分の像を築き、家臣にそれを礼拝するように命じたりもしています。

しかし結果から言うと、信長の自己神格化計画は失敗します。その最大の理由は、神学が欠けていたことだと私は考えています。