幕府は朝廷より上だということを示して作った金閣寺
義満の行為は、せっかく先人が勝ち取った対等の立場を自ら捨て去る愚行のように見えるかもしれませんが、注意すべきは、これによって国際的には、日本の代表者は天皇ではなく日本国王の足利義満であると認められた、ということなのです。
もちろん、これはあくまでも国際的な立場であって、国内では依然として天皇の方が立場は上でした。
国際的には自分が日本の支配者であると認めさせた、あとは国内の問題を解決するためである、と考えた義満が次に目論んだのは、自分の息子を天皇の跡継ぎにして、自らは天皇の父ということで上皇になろうというものでした。
実際、この計画は着々と進んでいたのですが、義満の突然の死をもって潰えてしまいます。
私は、義満は暗殺されたのだろうと考えています。
計画が未遂で潰えたのなら、なぜ義満が天皇の父「上皇」になろうとしていたと言えるのか、と思われるかもしれませんね。
実は証拠があるのです。
一つは彼が建てた金閣寺の構造に、もう一つは彼の戒名に残されています。
まず金閣寺の方からお話ししましょう。
金閣寺は、今でこそ寺として使われていますが、義満の時代においては、国賓を接待する「迎賓館」として使われていました。
3階建てのその構造は、一番下の第1層が寝殿造、その上の第2層が武家造、そして、一番上の第3層は中国風の禅宗仏殿造と、階層ごとに異なる様式となっています。
なぜ層ごとに様式を変える必要があったのでしょう。
実はこれ、一言で言うなら「マウンティング」なのです。神殿造は天皇や公家が住む住宅の様式なので、第1層は朝廷を、武家造は文字通り武士の住宅の様式なので室町幕府をそれぞれ意味しています。つまり、幕府は朝廷より上だということを示しているのです。
幕府の上を示す第3層は中国風の禅宗仏殿造ですが、これが意味するのは中国皇帝ではありません。中国皇帝から認められた唯一の日本人、つまり足利義満を象徴しているのだと私は考えています。
しかもその義満を暗示する第3層の上、つまり金閣の屋根には瑞獣「鳳凰」が羽を広げています。
瑞獣とは、古代中国で理想的な君主が出現したときに、瑞兆として姿を現すとされている霊獣です。つまり、この第3層に象徴される義満が、そういう理想的な君主だということを金閣の構造は示しているのです。
もう一つの証拠は戒名です。
足利義満の正式な戒名は「鹿苑院天山道義」ですが、実は彼と縁の深い寺に、「太上法皇」という称号が用いられた戒名を記した位牌が存在しているのです。
なぜこのような戒名が存在しているのかというと、義満が亡くなった直後に朝廷から「太上天皇」の称号が贈られたという事実があるからなのです。
結果的にはこの称号は義満の跡を継いだ4代将軍・足利義持によって辞退されているので、正式な戒名には用いられていないのですが、朝廷がこの名を亡くなった義満に贈ったのは事実です。
このことが意味しているのは、朝廷は義満の計画を知っており、あえて死後に彼が望んでいた称号を贈ったということです。本書をここまで読まれた皆さんには、なぜ朝廷がそのようなことをしたのか、説明しなくてもおわかりでしょう。
そう、義満が怨霊化しないように、死者の大いなる希望を叶えるべく手を打ったのです。これも、日本独自の宗教という視点を持たなければ見えてこないことだと言えるでしょう。