本田は自分の人生を「つねに無目的に過ごしてきた」と悔いる

私は本田のセンター試験の点数を知らないが、おそらく神大には十分な点数を取っていたのだろう、本田は迷いなく神大経済学部に出願を決めた。

他のクラスメイトがセンターの結果を受けて「阪大にしようか迷ってます……」と言うのを担任が次々に尻をバチバチ叩いて京大送りにしようと躍起になっていた、その狂騒ともはるかに離れたところで本田は我が道を突き進み、神大志望を貫き現役で神戸大学に合格した。

写真はイメージです(写真/Shutterstock)
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本人は「ヨッシャー!」という感じでもなく「ふむ。」という感情を抑えた雰囲気で──もしかするとクラス52人中40人浪人という結果でお通夜状態だった全体の空気を読んでいただけだったのかもしれないが──「佐川なら来年は絶対京大受かるわ」などとこちらへの気遣いまで見せてくれたのだった。

翌年、私が浪人している時にも、本田とは何度か会った。本田は最初こそ大学や体育会の部活になじめず苦戦している様子だったが、やがてなにか全国を旅行してまわるっぽい楽しそうなサークルに鞍替えし、それ以降は非常に穏やかな顔をしていた。

そして本田は、私たちより一足先に始まった就活でも無理はせず、私たちのほとんど全員が患っていた「大企業病」にもかかることなく、無理なく内定できそうで、かつ優良な就職先を見つけて今もずっとそこで働き、幸せな家庭を築いてもいる。

客観的に見れば、本田の経歴ほど美しいものもないだろう。私は古代ギリシャのエピクロスによる「アタラクシア」(心の平静な状態)という概念を思い起こす時、いつも本田のことを想像する。

一応補足しておくと、エピクロス=快楽主義と覚えている方が多いような気がするが、エピクロスの言う快楽とはヤリ〇ン的なものとは違い(というか逆のものであり)、人間の感情を刺激する俗世からできるだけ距離を取って「アタラクシア」に達することを指している。

おそらく共通テストでも出てくるレベルだと思うので、エピクロスがヤリ〇ン推奨の人ではない、ということは頭に置いておいて損はないだろう。

だが、そんな本田と数年前に二人で話した時、本田は自分の人生を「つねに無目的に過ごしてきた」と悔いる様子を見せていた。

写真はイメージです(写真/Shutterstock)
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いわく、「自分は若い頃本当に何かに本気になれたことがない、それが今でも心残りだ」というのである。私は本田の生き方は、あらゆる過剰さを嫌う本田流の、いわば筋の通ったものだと思っていたが、ここに来てその生き方に疑問を感じ始めたというのだ。

佐川や他の友人が限界まで自分を追い込んでいた時に、自分はずっとほどほどでやってきた、本当になりたいものもやりたいこともなかった、だから親戚での集まりなどがある時には、甥っこたちにも「ちゃんと考えて生きていかんと、おじさんみたいになるぞ」と言って諭しているらしい。

私はその話を聞いた時、やはりやるだけやったという経験が人生のどこかでは必要なのかもしれない、と自分を肯定したくなったのと同時に、外部に一切翻弄されない強い本田像が壊れる複雑な気持ちを感じてもいた。