我々の内部では、神戸大卒は高卒だった

岸田元総理が二浪で東大落ち早稲田となり、東大ばかりの家系だったために「うちで大学と呼べるのは東大だけだ。お前は一族初の高卒だな」と言われたとか言われていないとかいう話が有名だが、岸田家ほど極端ではないにせよ、我が校にも似たような雰囲気が充満しており、外界とは隔絶された価値観の小社会が形成されていた。

高野山へ行ったことのある方にはわかってもらえると思うが、あそこはまさに宗教都市という感じで訪れるだけでも心が洗われる気がするものだが、あの弘法大師空海を起源に持つ某R高は、平地に学歴高野山を作り出したのだ。学歴高野山を訪れると、頭から煩悩ではなく神戸大学や大阪公立大学が消滅する。

高野山の山並み(PhotoACより)
高野山の山並み(PhotoACより)

こうして改めて客観的に書いてみるとなんとアホな考えなのだろうと思うが、あの空間において神戸大学を大学と考えることは猛烈に難しいことだった。

我々の内部では、神戸大卒は高卒だった。裏を返せば、人間を洗脳することがいかに簡単なことか私は身をもって知っており、おそらく今もってあの時代の洗脳は解き切れていない。

私だけでなく、私と似たような環境に置かれていた進学校生たちは大抵みんな普通に大学を卒業し、様々な人間と触れ合い、経験を積んで社会に順応し、一般的な価値観をインストールしていく過程を経る。

そして定期的な酒の席で「あの頃はどうかしてたよな」と笑い話として受験生活を昇華するわけだが、そいつらの頭をコンコンと軽く叩いてみてほしい。

かつてテレビでやっていた代ゼミのヤバすぎるCM、「東大代ゼミ!京大代ゼミ!東大京大医学部代ゼミ!合格YEAH!必勝YEAH!」の音が小さく流れ出すはずである(知らない人はYouTubeであの狂気のCMを見てほしい)。

そういうわけで(?)、どう考えてもアホとしか思えない奇妙な宗教や商売にのめり込んでしまって誰の言葉にも耳を貸さない人間というのをみなさんも一人ぐらいは見たことがあるかと思うが、私はその心理をまったく他人事と考えることはできない。

私はいまだに東大京大病のせいぜい「寛解」状態にあるのであり、いつそれがまた再発するかわかったものではない。

実際「○○さんのご兄弟が~」などという言葉を聞くだけで、それが明らかにbrotherの意味だとわかっていても、いまだに京大の時計台の映像が瞬時に頭に浮かんでしまう程度には、後遺症が残ったままなのである。

京都大学の時計台(写真/Shutterstock)
京都大学の時計台(写真/Shutterstock)

だが、独立独歩の本田はそうした伝染病にまったく罹患することなく、模試で第一志望の欄に「神戸大学経済学部」と書き続けた。

104人いた特進コースで、定期テストは80位ぐらいの成績だったが、神戸大学は大体B判定、三年生になるとA判定を連発するようになった。詳しくは聞いていないが、定期テストの順位もその頃にはもう少し上がっていたのかもしれない。

私と一緒に自習していた西田(後に一浪で大阪市立大学の医学部に合格)は某R高でも成績上位で、模試の時に志望欄に「神戸大学医学部」も書いていたのだが、経済学部と医学部の偏差値は大体4000ぐらい違うため、大抵は本田が神大A判、西田が神大D~E判あたりになってしまう。

それで西田がよく「おい、本田は神大A判やぞ! 西田はもうちょっと頑張らなあかんのちゃうか?」とイジられていたのを覚えている(みんな本田がほどほどにしか勉強しないのに対して、私や西田が塾の自習室で死ぬまで勉強しているのを知っていたのである)。