神戸大学志望を貫いた〈足るを知る男〉本田

中学時代、私の地元の進学塾では、ほぼ常に校内ベスト3が固定されており、その全員が某R高の特進上位コースに進んだ。そして塾で1位だった私と、隣町の中学校の絶対王者であり塾では大抵3位だった本田が某R高で同じクラスになった。

ちなみに、当時某R高の特進では3年間クラス替えがなかったため、私と本田は3年間ずっと一緒の教室で過ごすことになった。

本田はとにかく地頭がいいタイプで、中学時代からそれほど無理な勉強はしなかった。私が気絶寸前になるまで自分を追い込んでいるのとは対照的に、「佐川はすげえなあ」などと言ってニコニコして、私を抜かそうという野心などはまったく出すことなく成績上位をキープし続けた。

写真はイメージです(写真/Shutterstock)
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中学生ながらに私は本田の潜在能力が自分よりも高いのではないかという恐れを抱いていて(そしておそらくそれは正しい予感だったと思う)、本田が本気モードに入らないかどうか、いつも緊張感を持って注視していた。当時の私の方が今の財務省よりも高い緊張感を持っていたと言っても過言ではないだろう。