自力でいとこを探し暮らすことに
すべての準備が整うには、とても時間がかかった。ようやくパスポートが届くと、その3週間後、イーロンはカナダへ発った。17歳のときだ。
わたしはいくつかの連絡先と、2000ドルのトラベラーズチェックを持たせて、イーロンを送り出した。20年前に初めて出場した美人コンテストで勝ち取った賞金100ランドを元手にして増やしたお金だ。賞金で株を買うべきだと友人に勧められたのだ。ところが、1969年に株価が下落して100ランドが10ランドまで下がった。
その後、イーロンが生まれたので彼の名前で口座を開き、そのまま忘れていた。1989年に口座があるのを思い出して見てみると、2000ドルになっていた。このお金でイーロンも数週間はやっていけるだろう。
わたしはカナダの親族に手紙を書いてイーロンが行くことを知らせたけれど、手紙よりイーロンのほうが先に着いた。当時、手紙はカナダまで6週間かかったからだ。
イーロンはモントリオールに着いて、わたしのおじに電話をかけたけれど出なかった。そこで、わたしにコレクトコールで電話をかけてきた。「どうしたらいい?」
わたしは、YMCA(キリスト教青年会)を探すよう伝えた。そのあとイーロンはトロントへ行ってもうひとりのおじを探したが、やはり見つからなかった。そこでバスでサスカチュワンへ行き、わたしのいとこを探したらしい。
イーロンはいとこの家の玄関先にとつぜん現れて言った。「こんにちは。ぼくはメイの息子です」。この家でイーロンは18歳の誕生日を迎えることになる。
そのころ、15歳になろうとしていたトスカが言った。「そろそろイーロンのところへ行ったほうがいいと思う。イーロンがどんな暮らしをしているのか見に行かないと」
けれども、そのころのわたしは博士号を取得するためにケープタウン大学に通っていた。
「ここで博士号を取るから、そのあとで行きましょう」
トスカは言った。「ママたちが行かないなら、ひとりでカナダへ行く。イーロンに面倒を見てもらうわ」
わたしはしぶしぶイーロンの様子を見に行くことにした。移住するつもりはなかったけれど、イーロンはすでにカナダにいる。キンバルは高校を卒業したら行きたいと言っているし、トスカの決意は固そうだ。さすがに、ふたりだけで行かせるわけにはいかない。何はともあれ、とりあえず様子を見てこよう。
わたしは、カナダに行っているあいだに仕事を引き受けてくれる栄養士をふたり見つけた。そのふたりはわたしの家に住んで、トスカの面倒を見てくれることになった。