子育てに悪戦苦闘…そして、小学校でのいじめで夫婦も離婚危機に
日常生活も大変なことの連続だったそうだ。
「こたは『食べない』って言ったら、まったく食べない。食べたとしても、すぐに全部吐いちゃう。そんな状況の中、周りの人からは『絶対食べさせなきゃだめよ! こた君は頑固だね』とわがままな子どものように思われていた。
でも、大人になってから分かったのが、十何項目も食物アレルギーがあったんです。卵に牛乳、トマトと、当時はそんなもの知らなかったから……」(規梭子さん)
「自分でわかってたんだろうね、嫌なものはぜったいに食べなかったから」と大二郎さんも、ご飯を食べてくれない息子に悪戦苦闘していた。
死に物狂いで子育てをしていく中、なんとか無事に虎太郎さんは小学校に進学したのだが、そこでもまた問題が待っていた。
小学1年生の時に、ひとつ上の学年の子に髪を切られたりと、学校でいじめに遭ったのだ。そして虎太郎さんは、小学2年生で私立に転校することになる。
そんなとき、人気俳優の原田さんは撮影で家にいないことが多く、母が一人で耐え抜こうとしていたという。
「私から大二郎さんに『別れようか』みたいな話になったこともあって。こたが小学校3年ぐらいの時に、私ももう疲れちゃって、嫌になっちゃった。そしたら『僕は男だからママについていくよ』って言ってくれたんだけど、その日にはじめておねしょしちゃったの。
これまで1回もおねしょをしたことがない子だったから、やっぱり辛いんだなと思いました。その時に『やっぱり僕、パパと離れられない』って。やっぱりお父さん好きなんだけど、男の子だからママを守んなきゃと思ったのね」(規梭子さん)
いじめを受けていた当時のことを覚えているかを虎太郎さんに尋ねると「親が芸能人だっていうのもやっぱりね。僕自身は偉そうにしてないんだけど」と語ってくれ、「いや、君、結構偉そうだったよ(笑)」と大二郎さんはツッコミをいれ、家族で笑い合う。
その後も消化器官の病気を発症し、再び医師には「高校まで上がれない」と言われていたが、堀越学園に入学することができた。
しかし、高校卒業間近、周りの同級生が進学や就職を決める中、進路が決まっていなかった虎太郎さんは不登校になってしまう。
「学校に行かない理由を聞いても言わないんだよ。学校行けよって引きずり出そうとして、玄関の所で綱引きみたいになっちゃったこともあるね。玄関の外で俺が『お前死ぬ気か』って叫んで。当時は本当に必死で自分でも意味が分からないよね」(大二郎さん)
「私はそれを見て、親子関係までもダメになったら、もう学校出ても意味ないって思ったの。それで無理強いは止めた」(規梭子さん)
そんなことを思っていた両親のもとで、なんとか気持ちを持ち直した虎太郎さんは高校を卒業し、ラーメン屋でアルバイトをしたり、研究者の海外調査に同行したこともあった。自立して、一人暮らしをしてみようとも考えたこともあったという。しかしその都度、病魔が虎太郎さんの行く道を阻んでしまう。
そんな中、虎太郎さんが見つけた一筋の光は、父と同じ役者の道だった。