「そのたびに泣かされだけど、そういうところが好きでした」

――記録することによって、いい思い出だけではなく後悔も再認識させられるわけですが、向き合って辛くはないですか。

これは私の昔からの性格だと思うのですが、うまくいかなかったことは「次にこうならないためにはどうするか?」みたいなことを分析します。たとえば失恋などにおいても、「忘れよう」ではなく、「どうすればよかったか」をよく考えます。厄介なことや嫌なことから逃げても、状況はよくならないからです。

――倉田さんと叶井さんだけに通じる“ギャグ”が、ややもすると不謹慎ですが、印象的でした。生死の瀬戸際だけに悲しみもおかしみも感じました。

手術のたびに電話で「失敗した」っていうやつですよね(笑)。夫は胆管が詰まるなどして、手術を何度もやっているのですが、うち2回は本当に失敗しているんですよ。だから全然笑えないはずなんです。

でもなぜか、彼が言うと呆れると同時に笑っちゃうんですよね。死んだふりも何度もしていましたから(笑)。そのたびに泣かされだけど、そういうところが好きでしたね。

二人の間だけで通じるノリがたくさんあった
二人の間だけで通じるノリがたくさんあった
すべての画像を見る

――他方で、倉田さんが好きだった明るくおおらかな部分が叶井さんから失われていくことに対する寂寥感みたいなものも感じ取れました。

そうですね、病気はその人の身体だけでなく、精神面を変えてしまう部分があります。健康なときは「わっはっは」と豪快に笑う人だったのに、病気が進行してからはそういう笑い方を聞かなくなったなとか。弱るにつれて、冗談を言う頻度も少なくなったり。

反対に、これまでならほとんど聞いたことのない「ありがとう」「ごめんな」が増えてくると、とたんにさみしく感じますよね。甘えるような仕草も、もちろん好きだから嫌じゃないけど、前までの夫とは違うなと感じて。それがただ切なかったです。

――闘病生活中、叶井さんに対して優しくなれないご自身に苛立つ描写もあり、リアルだと思いました。

いつかは別れが来るとわかってはいるんです。けれども一方で「お腹が痛くなるとわかっているのになぜカップラーメン大盛りを食べるのだろう」とか、私が集中したいときに「肩揉んで」と言われてイラッときたりとか。人の面倒をみることは、そんなに簡単でも単純でもないですよね。

ただ、冷静になれば、食べるのが好きな夫は食べたいからカップラーメンの大盛りを食べてしまっただけなんですよね。そのことに腹を立てて、24時間優しくしてはあげられなかったなと思うと、自分に腹が立ちます。どこかで無意識に、「夫はまだ生きる」と思っていたのかもしれません。それは甘かったなと痛感しますね。

#2 に続く

取材・文/黒島暁生 撮影/濱田紘輔

『抗がん剤を使わなかった夫~すい臓がんと歩んだ最期の日記~』
倉田真由美
『抗がん剤を使わなかった夫~すい臓がんと歩んだ最期の日記~』
2025年2月14日
1650円(税込)
208ページ
ISBN: 978-4991299735
2022年5月、夫・叶井俊太郎の「顔や体が黄色くなる」ことから始まった、私たち家族と「すい臓がん」の記録。 いまの日本において、「抗がん剤を打たない」という選択はとても少ないなか、叶井は抗がん剤を一切からだに投与することなく1年9カ月を生きた。 くらたまは言う。「自分の命や人生の在り方を決めるのは本来自分自身のはず。でも日本では一旦がんを発症すると自分の死に方、生き方が全部医者に丸投げになってしまうケースがほとんど。そうじゃない生き方ができること、何をして何をしないか自分で決めてもいいことに気付いて欲しくて筆をとりました。 〝自分で選べる〟って当たり前のことを、知らないままの人が多いんです」。 〝がんの王様〟とされるすい臓がんにかかりながら、抗がん剤治療を受けなかった夫は、どのように生きたのか…… まだどこにもそんな例がとりあげられていないなか、確固たる意志を貫いた生き様を、貴重すぎる家族の記録を、妻である倉田真由美が、自分の言葉で綴った640日間。
amazon