初のイベントプロデュースは誕生日会?
そうこうしているうちに貯金も底をつき、当時の彼女や仕事相手との揉め事も増えていき、実家に戻らざるをえなかったという。
「負のスパイラルがどんどん広がっていって、結局実家に戻ったんですけど、なにもする気がおきず、ご飯とトイレのときだけ起き上がるっていう生活で。完全に鬱でした。それが半年ぐらい続いた。乗り物に乗っていると「このままぶつかったらいいな」って考えたぐらい、常に「死にたい」って思っていた。
体の不調もあったので、病院で受診をしたら「肝機能障害」って診断されたんです。僕はお酒を飲まないから『なんででしょう?』って聞いたら、『感情と肝臓は繋がっている、なにか思い悩んでることはない?』って聞かれました。思い悩んでいることしかなかったですよ(笑)」
心の病から立ち直るきっかけを与えてくれたのは、旧知のトレーナーだった。
「昔からサーフィンをやっていたことを知ってて、その人に海とかプールに行ったほうがいいよって言われて、海の近くに4畳半の安い部屋を探してくれたんです。それで、ライフセービングのトレーニングとか、トレイルランニングとか、とにかく自然の中で体を鍛えていたら、徐々に心身ともによくなっていきました。
ある日、その人に『なんでもいいから、目標を作ってください』って言われたんですね。で、なにをやろうかと考えたときに、もうすぐ30歳だったので、日ごろお世話になった人を集めた誕生日会をやりたいって思いつきました」
そこで、知人がお台場のプールを貸し切るイベントをしていたので、その人になにもイベントのことを知らせずに会場を借りることしたんです。すると、とんでもない額の見積もりがきたという。
「これはやばい、お金を払ってでもきてくれるイベントにしなきゃ、と思って、とにかくいろんな人に連絡しまくりました。その合間には、合羽橋に装飾品を買いに行ったりもしましたね。結果、来場者は250人くらいで、なんとか赤字にはなりませんでした」
その誕生日イベントをきっかけに、仲間もでき、培ったノウハウでいろいろなイベントのプロデュースを積み上げていく。ファッションブランドなど企業からのオファーも増えていく中、それが「ULTRA JAPAN」に繋がっていった。
#2に続く
取材・文/高田秀之 写真/本人提供