“「スローバラード」は日本のロックの歴史に残る傑作だと思います”

緊張と焦る気持ちのなかで、どうして3人が冷めているのかが分からないまま、何とか3人に口を開いてもらおうと頭を回転させる。だが重い空気は変わらず、何とかして質問をひねり出していたことが、昨日のことのように思い出される。

ぼくは切り札として、あらかじめ用意していた言葉をぶつけた。

“『スローバラード』は日本のロックの歴史に残る傑作だと思います”

それは嘘偽りのない、自分が聴いた正直な感想だった。それでもまだ、沈黙が続いた。

ぼくはもう次の質問が出てこなくなり、アメリカから来日していてレコーディングに参加したというタワー・オブ・パワーについて、「ホーン・セクションもすごくよかったです」と付け加えた。

すると、疑い深そうな清志郎の目と初めて視線が合って、すぐに反論のような言葉が返ってきたので驚いた。

「演奏もアレンジも気に入ってないんだ。あれはオレたちの音じゃない。スタッフと星勝が、勝手にやったんだ」

発売が一度見送られるなど不運な境遇に見舞われながらも日本のロック・スタンダードの一つにも挙げられる名曲『スローバラード/やさしさ』(1976年1月21日発売、POLYDOR)
発売が一度見送られるなど不運な境遇に見舞われながらも日本のロック・スタンダードの一つにも挙げられる名曲『スローバラード/やさしさ』(1976年1月21日発売、POLYDOR)
すべての画像を見る

意外な発言が飛び出してきたのでかなり動揺したし、自分が文句を言われているようにも感じた。

だがよく聞いているとそうではなく、ほんとうに口惜しいという気持ちを正直に語っているだけだった。

そのことに気づいて、少しホッとした。ぼくは自分がメンバー3人と同学年であることや、音楽では中学生の時からローリング・ストーンズが大好きで、オーティス・レディングもよく聴いていると話した。

そんなことから、少しは親近感を持ってもらえたのかもしれない。とにもかくにも取材開始から30~40分が経過して、ようやく少し打ち解けて話ができるようになった。

そして取材を終える時間が近づいた頃になって清志郎は、周りのよく分からない事情で、『シングル・マン』が2年近く発売できなかったと打ち明けた。

本来なら次のアルバムの曲がもう全部できているのに、「レコーディングは全然実現しないし、本当ならもう、そっちのほうの話がしたかったんだ」というようなことを、少し怒ったような口調で言っていた。

一切のリップサービスもなく、本当に自分の気持を正直に話す人だった。音楽だけですべてを表現しているアーティストなのだと、少しだけかもしれないが理解できたところで取材は終わりにした。

ライブ会場で再会して、お互いの目を見て話せるまでには、それから20年かかった。

さらにその10数年後。清志郎さんの誕生日に、発見された創作ノートに関するニュースが流れた。

「次のアルバムの曲がもう全部できている」と、あのインタビューの日に言っていた作品だったのだ。

文/佐藤剛 編集/TAP the POP サムネイル/1976年1月21日発売『スローバラード/やさしさ』(POLYDOR)