“「スローバラード」は日本のロックの歴史に残る傑作だと思います”
緊張と焦る気持ちのなかで、どうして3人が冷めているのかが分からないまま、何とか3人に口を開いてもらおうと頭を回転させる。だが重い空気は変わらず、何とかして質問をひねり出していたことが、昨日のことのように思い出される。
ぼくは切り札として、あらかじめ用意していた言葉をぶつけた。
“『スローバラード』は日本のロックの歴史に残る傑作だと思います”
それは嘘偽りのない、自分が聴いた正直な感想だった。それでもまだ、沈黙が続いた。
ぼくはもう次の質問が出てこなくなり、アメリカから来日していてレコーディングに参加したというタワー・オブ・パワーについて、「ホーン・セクションもすごくよかったです」と付け加えた。
すると、疑い深そうな清志郎の目と初めて視線が合って、すぐに反論のような言葉が返ってきたので驚いた。
「演奏もアレンジも気に入ってないんだ。あれはオレたちの音じゃない。スタッフと星勝が、勝手にやったんだ」
意外な発言が飛び出してきたのでかなり動揺したし、自分が文句を言われているようにも感じた。
だがよく聞いているとそうではなく、ほんとうに口惜しいという気持ちを正直に語っているだけだった。
そのことに気づいて、少しホッとした。ぼくは自分がメンバー3人と同学年であることや、音楽では中学生の時からローリング・ストーンズが大好きで、オーティス・レディングもよく聴いていると話した。
そんなことから、少しは親近感を持ってもらえたのかもしれない。とにもかくにも取材開始から30~40分が経過して、ようやく少し打ち解けて話ができるようになった。
そして取材を終える時間が近づいた頃になって清志郎は、周りのよく分からない事情で、『シングル・マン』が2年近く発売できなかったと打ち明けた。
本来なら次のアルバムの曲がもう全部できているのに、「レコーディングは全然実現しないし、本当ならもう、そっちのほうの話がしたかったんだ」というようなことを、少し怒ったような口調で言っていた。
一切のリップサービスもなく、本当に自分の気持を正直に話す人だった。音楽だけですべてを表現しているアーティストなのだと、少しだけかもしれないが理解できたところで取材は終わりにした。
ライブ会場で再会して、お互いの目を見て話せるまでには、それから20年かかった。
さらにその10数年後。清志郎さんの誕生日に、発見された創作ノートに関するニュースが流れた。
「次のアルバムの曲がもう全部できている」と、あのインタビューの日に言っていた作品だったのだ。
文/佐藤剛 編集/TAP the POP サムネイル/1976年1月21日発売『スローバラード/やさしさ』(POLYDOR)