GDPを気にしても仕方がない
GDPについて一喜一憂する報道をよく目にします。『ヤバい統計 政府、政治家、世論はなぜ数字に騙されるのか』(ジョージナ・スタージ著、 尼丁千津子訳、集英社シリーズ・コモン)という本を読むと、誰もが信頼している統計などの数字がいかに怪しいものかがよくわかります。
政府が政策を立てたり実行したりするにあたり、統計を持ち出すことは珍しくありません。また、国民の側も根拠となる数字を求めます。数字があることは根拠があることだと考える人も少なくない。
イギリスで実際に政策に関連する統計に携わる専門家でありながら、著者は数字を信用しすぎることの問題点を指摘しています。数字というものの捉え方については、もう少し気を付けたほうがいいように思います。
私が病院が好きではないのも、数字と関係しています。検査を受けると、すべてが数字で示される。血液の中のこれがこのくらいの数値だ、だから標準から外れている、問題だ、気を付けなさい、と。覚えのある方も多いのではないでしょうか。
こんなことばかり言われると、俺の身体の中で流れているのは血液ではなく数字なのか、と文句の一つも言いたくなります。
CT検査の結果も実は数字の集積です。画像を見るので写真みたいに思われるでしょうが、そうではありません。実際には人体を小さな立方体に分けて、それぞれのX線の吸収率を測定して、画像を作っているのです。だからあれもまた画像ではなく数字を見ている。
スマホで通話する際の音声も、実はデジタル化した音声を再構成したものです。
私たちが昔と同じように感覚でとらえていると思っているものが、実は数字の集まりだということが増えました。数字を介して間接的に現実と触れあう場面が増えたとも言えます。
だから駄目だとか、何も信用するな、データを無視せよといった話をしたいのではありません。「政府の統計は嘘ばかりだ」と決めつけるのは、「数字があるから確かだ」と信じ込むのと同じようなものです。極端な立場のいずれかを選ぶ必要はありません。