現代社会は、感覚から入るものを軽視しがち
春山 まずは先生がよくおっしゃっている、日本人が身体を使っていないことの問題についてお聞きしたいと思います。私は、これは日本にとっての大きな課題だと考えています。
1950年代までは、日常的に身体を使う仕事、たとえば農業・漁業・林業などの第1次産業に携わる人の数は1500万人ほどいて、日本の就労人口の約半数を占めていました。それが今は200万人ぐらいまで激減しています。多くの人が第1次産業ではなくサービス業など第3次産業の仕事に就き、かつ都市化が急激に進んだこともあって、自然の中で身体を動かす機会が失われてしまっていると思います。
とはいえ、人間も生きものです。私たちの身体の構造は、パソコンやスマホを使うためではなく、自然の中で生き抜くためにつくられています。しかし、そうした身体性の原点に立ち返り、自然と人間の関係性を深める営みとして、第一次産業に新規に参入するのは、今の時代、なかなかハードルが高い。そこで、登山やアウトドアであれば、無理なく都市と自然をつなげられるのではないかと考え、2013年にYAMAPを立ち上げました。
知識を先行させるのではなく、自らの身体で体験することからはじめないと、人は本質に気づきにくいですし、生きていることのよろこびを実感しにくいのではないでしょうか。だから、自然の中で身体を動かすことや、その中で、自分たちのいのちが自然や地球とつながっているということをリアルに体感することが大事だと思います。その意味で、登山やアウトドアは現代社会において必要なアクティビティーだと考えています。
養老 おっしゃる通りですね。現代社会は、感覚から入るものを軽視しがちで、勉強すれば何でも頭に入ると思っています。でも実は、それ以前に自然の中で感覚を磨くことが非常に重要なのです。僕らがこどもだった時代には、野山で遊ぶうちにごく普通に感覚知を得ることができました。しかし自然体験が乏しい最近の子どもたちには、それが十分に養われていないのではないかと心配しています。外で身体を動かして遊ぶより、インターネットやゲームをやる時間の方が長いでしょうから。
春山 先生のご著書『子どもが心配 人として大事な三つの力』(PHP新書)を拝読しました。デジタル時代の子育てについて、『ケーキの切れない非行少年たち』(新潮新書)を書いた児童精神科医の宮口幸治先生など、4人の識者との対談からいろいろ学ばせていただきました。
養老 あの本の中で対談した脳研究者の小泉英明さんは、「人間が意識や精神を獲得していく過程で、体がその基本になっていることは間違いのないところです」とおっしゃっています。詳しくは対談を読んでいただくとして、脳に関して言えば、身体で感じる感覚、つまり目で見る、耳で聞く、手で触る、鼻で嗅ぐ、舌で味わうという五感が「入力」で、それに反応して身体を動かすのが「出力」です。
まず、外界からの情報が感覚を通して脳に入ってくる。それを受けて脳の中で計算して、考えた結果が肉体の運動として出てくる。たとえば、目の前にコーヒーがあるとして、「コーヒーがある」という情報が脳に入力される。脳の方では「喉も渇いたし、ちょっと飲んでみるか」と考えて、それが手を伸ばしてコーヒーカップを取るという出力になる。それでコーヒーを飲んだら「ぬるい」と感じて、その入力に対し脳は「だったら淹いれ直そう」と考える。そんなふうに感覚→脳→身体→感覚……という具合に情報をぐるぐる回していく。
こういう脳の「回転」の重要性が言われるようになったのは、脳研究の世界でも比較的最近のことです。脳には、入力と出力の両方が必要で、入力だけだと水を吸い込むだけのスポンジと同じですし、出力だけでは、ただ動き回っているだけの壊れたロボットになってしまいます。
まだ小さいときに、その入出力を繰り返していくことで、脳の中にひとりでに、あるルールができてくる。それが学習のはじまりです。小さいときから、このようなことを地道に繰り返し繰り返しやっていくことで、自然に脳がルールを発見するのです。