本当に「30年間」は失われたのか

GDPについては、おかしな議論が横行しているように思います。直近では、ドイツに抜かれて4位になったことが大きく取り上げられていました。アメリカ、中国、日本だったところにドイツが割り込んだということです。

しかしGDPは人口に拠るところが大きいのですから、日本が上位にいること自体おかしかったとも言えるのです。本来ならばインドがすでに上位になっていても不思議はない。ただ、インドの場合、経済が正確に把握されていないという特徴もあるようです。

ドイツの人口は日本よりも少ない8300万人ほどじゃないか、と言う人もいるでしょう。しかし円安の影響もあるでしょうし、そもそも論でいえば、日本のGDPの伸び悩みの要因は、この30年ほどのいわゆる「経済的停滞」です。

しかしこれを「停滞」の一言で片づけていいかどうか。「失われた30年」とはよく言われますが、そんな言葉で片づけていいのか。マイナス面だけを見ていいのか。

日本にとって「失われた30年」とはなんだったのか
日本にとって「失われた30年」とはなんだったのか

私は、この30年へとつながる動きの最初は、公共投資の抑制だったと考えています。ではなぜ抑制したか。田中角栄首相に代表されるように、高度成長期の日本は、国土を「改造」するのだと張り切って、「開発」を進めた。しかしそれは国土を「傷めた」とも言えます。

これに対して日本国民全体が、どこかで「これ以上は進まないほうがいいんじゃないか」と思うようになり、そういう空気が醸成されていきました。その典型が前述の「脱ダム」宣言でしょう。

「もうこれ以上、日本はお金を稼がなくてもいいんじゃないか」と感じる人が増えていった。もちろん人それぞれですから、「いや、俺はもっともっと稼ぎたかった」という方もいるでしょうが、国全体を覆う空気は、変化していった。だから公共投資は抑制される方に進んだ。それによっていわゆる経済成長は停滞することになった。

ドイツの場合、こういう気分を緑の党のような政党が代表して、わかりやすい形として示していくのですが、日本はいつものようにそういう空気が何となく作られていき、抑制の方向に進みました。