12月11日、Aさんの4月の窓口通報を受けた調査結果を発表
疑惑をめぐる動きを整理すると、問題は3月12日に当時の西播磨県民局長・Aさん(60)がメディアや県警など10か所に7つの疑惑を書いた告発文書を送ったことで始まった。
「文書を入手した斎藤氏は3月21日に片山安孝副知事(7月に辞職)らに発信者探しを指示します。これを受けた片山氏は目星をつけたAさんを3月25日に尋問して文書を発送したとの供述を取り、Aさんの公用パソコンを押収しました。
2日後の3月27日、斎藤氏は記者会見でAさんのことを『嘘八百』『公務員失格』と罵倒したんです」(全国紙記者)
これを聞いたAさんは、4月4日に県の公益通報窓口に通報手続きを取っている。「この際Aさんは3月の文書の中の1項目を外しただけで、ほかの6疑惑はそのまま訴えました」と全国紙記者は話す。
この通報を受けた調査が続いていた5月、斎藤氏らは告発文書を「誹謗中傷する文書」と断定し、これを作成・配布したなどとの4つの理由を挙げてAさんに懲戒処分を出す。
その後、告発には信ぴょう性があるとの見方が強まり、県議会に百条委が設置される。しかし百条委での証言を前にAさんが7月に自死。この時期、片山氏が押収したパソコンにあった私的な文書を県幹部が持ち歩いており、Aさんはこれに苦しんでいたとの証言がある。
結局、百条委も疑惑の結論を出せない中、3月の告発に対する不適切な対処で県政を混乱させたという唐突な理由で斎藤氏の不信任決議案が県議会で可決。そこで失職を選んだ斎藤氏が出直し選を勝ち抜き県庁に戻って来た、という流れだ。
県がAさんに行なった対応を元同僚はこう語る。
「3月に告発文書が送られた時点で、発信者の特定や不利益な扱いを禁じる公益通報者保護法によってAさんへの圧力は許されなかったとの見方が強いです。しかし斎藤知事は『文書は誹謗中傷性が高く、公益通報ではない』として当時の措置は妥当だったと言い続けてきました」
その斎藤氏が戻って来た後の12月11日、兵庫県はAさんの4月の窓口通報を受けた調査結果を発表した。
通報された6項目の疑惑のうち、パワハラとおねだりに関しては、「今回の調査では、パワハラと認められる事案があったとの確証までは得られなかった」「(贈答品の中に)貸与を装った贈与と誤解を受けたケースが確認された」と結論づけた。