鳴かず飛ばずだった20代、数々のアルバイトをする日々
――35歳でブレイクするまでは、何を目指し、どう生活していたんですか。
役者の道を目指していました。ただあまりにも20代のブレイクがなくて、役者の道を暗中模索しながら、いろんなアルバイトをしてたんです。でも結婚してワイフ(妻)もいて30歳で長男が生まれた時には、母親に「結婚して売れないんだからやめろ」って言われて。32歳の時に一度芸能界の仕事をあきらめようと思いましたね。
――本気で諦めかけた時期もあったんですね。
年に2、3回、舞台やテレビドラマのちょい役を演じるくらいでしたからね。母親から「女房子どもを泣かすな」って言われて、それもそうだなと。家にマネー(お金)も入れなかった時期もあったし、子どもの親として最低だなと。もう最低な人間だったんですよ、私。だから35歳でいろんな番組に出られるようになった時はもう…ドリーム(夢)を見ているようでした。
――35歳直前でブレイクするわけですが、夢を諦めかけた32歳以降は?
だから、32歳で夢を諦めてティッシュ配ったり、火災報知器の点検とか多種多様なアルバイトをして、当時はバブルだったこともあって何とか生活できたんですよ。そしたら少しずつアルバイト以外の仕事が入ってきたりして、夢から逃げたら夢が私を追ってきたという感じがしたのね。すごいウィンド(風)が吹いてきたなと。
それで深夜の番組とかに出始めたんだけど、「そんなもんは一時的なもので、人気や仕事はすぐなくなる」と思った。だからテレビの仕事をやりながらも路上でミルク代を稼ぐためにティッシュ配ってましたよ。
――35歳まであきらめずに走ってきてよかったですね。
そうですね。今の私がいるのも35歳の時の「トゥギャザーしようぜ!」があってだからね。だから運がよかったのかもしれない。才能というより運が味方してくれたのかも。崖っぷちだったから、なりふり構わずだったし、今までにないタイプのタレントだったからね。
#2へつづく
取材・文/木下未希