夫の起業と買い物依存症
息子の出産から約半年後、夫は清掃会社を起業する。
大津さんもバイト経験を活かして、夫を全面的にサポートするようになった。
「登記から事務から現場作業から、すべてを夫と一緒になってやらなければならない立場になったんですが、女性として生きてきて、結婚したら“妻”や“主婦”というものが付け加えられて、何も減らないのに、さらにそこへ“子育て”が加えられて……。もうどんどん、どんどん役割が増えていきました。
息子も生まれたばかりですが、夫が起業した会社もできたばかりなので、今までやったことのない資金繰りだったりとか経営のこととか、いろんなことに頭や時間や労力を使っていくうちに、どんどん疲弊していっちゃったんですよね。で、ちょっと、ノイローゼみたいになっちゃいまして……」
産後うつは、出産後1年以上経過しても発症する可能性があるという。もしかしたら、産後うつや、育児ノイローゼだったのかもしれない。
夫の起業から3年ほど経った頃、気づけば大津さんは、実質的な忙しさやそれがままならないストレスを解消するかのように、買い物依存症になっていた。
家の中は常にぐちゃぐちゃで物が溢れていた。それなのに、とめどなく新しいものが欲しくてたまらない。
ブランド物もそうでないものも、とにかく欲しいと思ったものを買わずにはいられなかった。
しかし、ひとたび買ってしまえば熱が冷め、部屋にはパッケージを開けずに放置されているものが増えていった。
「『それ、買っても使わないよね?』みたいなものもとにかく買ってきて、ぐちゃぐちゃの部屋の中で幼い息子もいるのに、夫とは会社の資金繰りの話とか、仕事の話ばかりしていましたね。いつからか、家庭と仕事が切り離せなくなっていました……」
大津さんの買い物依存症の悪化と反比例するかのように、夫は家に帰ってこなくなっていく。
「すごく悩んでいるのに、どんどん殻に閉じこもっていきました。私、いいカッコしいなのもあって、人に相談できないし、助けを求められないんです。そんな私の状況とは裏腹に、夫の会社はとてもうまくいっていました」
起業人としての幸せと家庭人としての幸せ
夫がほとんど家に帰ってこなくなると、大津さんの精神はますます疲弊していった。母親の精神的な不安定さは、そばにいる息子に影響を与える。
幼稚園や小学校で友だちに手を出してしまったり、人知れずベランダに出て泣いたりするようになってしまう。
「正直、夫とは言い争うこともありました。でも相手は相手の立場で話すし、私は私の立場で話すんですよね。夫は結婚生活がなくなったとしても、仕事は手伝って欲しいと言う。
私は、もっと子どもとの時間を増やして欲しいって言いました。このままだと、子どもとどうにかなっちゃうかなっていうのもありました……」
そして大津さんは、離婚に向けて舵を切る。
「私は泥臭い言葉で言うと、夫と一緒に“家族愛”を育みたかった。でも彼は、経営者として会社を大きくすることのほうが優先順位が高かった。
話し合いを何度もしたんですが、ちょっともう難しい感じだったので、それなら、お互いに息子のことは変わらず愛していこう。
私が息子を育てていくけど、あなたも、会いたいときにいつでもどれだけでも、好きなときに会っていいから……と。それだけ言いました」
2006年1月。35歳の時に大津さんは離婚。その半年後、清掃会社を起業する。
夫の起業をサポートしたとはいえ、幼い息子を抱え、たった1人で会社経営に乗り出した大津さん。
果たして彼女は、“人生の壁”を乗り越えられたのだろうかーー。
〈後編へつづく:『「シングルマザーはヤクザと同じだから」社会復帰を目指し、起業した女性に待ち受けていた試練』〉
取材・文/旦木瑞穂