「女性とは付き合いたくない」「結婚はしない」

父子の関係の転機になったのは篤伸さんの2度目の離婚だった。

「2番目の妻は、弁護士の指示を受けて家の中で隠れて録音をして私の言動を記録し、離婚訴訟を起こしました。多額の金をとられて離婚することになったのですが、ちょうどその時期に息子と後妻が家で鉢合わせし、激しく言い争うことがありました。息子も過去のことがありましたから」

離婚が成立し後妻が家を出ると、入れ替わって臼田容疑者が家に帰って来たという。

「息子は後妻とは一緒に暮らせなかったから、私が後妻と別れたことは、父親が自分を選んでくれたのだと思って安心したのだと思います。戻ってきて、食事を作ってくれるなど、親子の関係は穏やかでした」

若かりし頃の臼田容疑者(家族提供)
若かりし頃の臼田容疑者(家族提供)

この時期、臼田容疑者は死刑反対の市民運動に参加し、2010年には2人の死刑が執行されたことに抗議したNGOなどのアピールに名を連ねている。

東日本大震災での東京電力福島第1発電所事故後には反原発運動に加わり、「50日間ぶっ通しデモ」を組織するなど活動の先頭に立っていた。福島の事故を受け国内の原発がすべて止まった後、2012年に関西電力大飯原発3、4号機が最初に再稼働した際には、これに反対し現地のテントで抗議行動を行っている。こうした市民運動に身を置き、仲間は多くいたとみられる。

「息子は大飯原発の再稼働反対で、現地で抗議行動をするグループの年上の女性と付き合うようになったんです。女性は(埼玉県川口市の)私と息子の家で同居するまでになり、私は結婚も勧めました。息子は『まだだ』と言っていましたが、女性はその気もあるようでした」

ところが2012年に大飯原発が再稼働し反対運動が実を結ばなくなった時期に前後し、臼田容疑者は女性との交際を終える。

女性が両親ともにある宗教団体の信者で、女性自身も2世信者だったことを知って嫌悪感を抱いたのが原因だったとみられるという。

二人の結婚を望んでいた篤伸さんは関西に暮らす女性を訪ねてヨリを戻すよう頼んだりもしたが、臼田容疑者の気持ちが頑なだった。

「再稼働した後、息子は反原発の活動から手を引き、仲間との関係を絶ったほかに、『女性とは付き合いたくない。結婚はしない』と言っていました」

自宅にあったカンパ箱(撮影/集英社オンライン)
自宅にあったカンパ箱(撮影/集英社オンライン)