ボルテスVとの和解

それからさらにながい時が経ち、このたびフィリピンで実写化の報が流れてきた。日本での公開が決まり、宣伝の一環として、原作アニメ全40話の配信が始まる。

考えた末、私はこれを全部見ることにした。長年、かすかな引っかかりを覚えてきたボルテスVに向き合う、最後の機会だと思えたのである。

結論からいえば、不明を愧(は)じるとは、このことだった。基本的なアイディアが二番煎じだったことは否めないにせよ、それと作品単体のクオリティは別だったらしい。「超電磁マシーン ボルテスV」は、紛(まご)うかたなき傑作だった。

たんなる戦闘ものではなく、父を追い求める家族の物語であり、骨太かつ緻密なストーリーと、ケレン味のあるアクション描写が共存している。のちに「機動戦士ガンダム」シリーズを生み出すことになる富野由悠季(当時の表記は、とみの喜幸)氏も、演出陣のひとりだった。

ありがちな「お約束のように攻めてきて、ただやられる」敵はほぼなく、全編を通じていささか息苦しいほどの緊迫感に満ちている。なにしろ第2話から地球側の基地が総攻撃を受け、主人公たちを救うため母親みずからが特攻・散華するという苛烈な展開。

敵幹部のひとりが裏切りの末、最期を迎えるエピソードでは、二転三転どころか四転五転するシナリオに、まったく先が読めなかった。ロボットが出ず、人間ドラマのみの回さえあるのだから、総監督・長浜忠夫氏の果敢さに呆然とする。

前述の敵司令官プリンス・ハイネルの血に隠された秘密も、劇的というほかなかった。人気が出るのも当然というべきだろう。

ボルテスVがフィリピンで国民的番組となった理由については、おもにふたつの説が唱えられている。まずは、パイロット5人のうち、3人が兄弟であり、ロボットの設計者でもある行方不明の父を追い求める姿が、家族を何より大切にするフィリピン人の琴線を揺さぶったというもの。

もうひとつは、角(つの)の有無で理不尽に階級を決められる敵ボアザン星の社会構造が、当時、マルコス独裁政権下にあった彼の地の状況とだぶったというものである。初めての放送がボアザン星の革命と解放を描く終盤以前で中止されたのは、マルコスが民衆の熱狂を怖れたためとも言われている。

私じしんは、長らくこれらの説を眉唾だと思っていたのだが、原作を見通した後では、その認識もあらためなければならないような気がしている。そう思わせるだけのパワーがあったということだ。

ひと足はやく拝見した実写版も、CGを駆使し、よくぞここまでと感嘆するほどの再現性に満ちていた。主題歌はフィリピンのシンガーが担当しているが、当時の主題歌そのままに日本語で歌っている。

公開された劇場版のチラシ
公開された劇場版のチラシ
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どれも生半可な情熱でできるものではない。ボルテスVとの和解および謝罪を経た今は、フィクションがこれほど愛されうるのだということに、実作者のひとりとして希望を感じてすらいる。

文/砂原浩太朗

1969年生まれ。兵庫県出身。早稲田大学第一文学部卒業。2016年「いのちがけ」で第2回「決戦!小説大賞」を受賞。21年『高瀬庄左衛門御留書』で第9回野村胡堂文学賞、第15回舟橋聖一文学賞、第11回本屋が選ぶ時代小説大賞を受賞。22年『黛家の兄弟』で第35回山本周五郎賞を受賞。他の著書に『いのちがけ 加賀百万石の礎』『藩邸差配役日日控』『夜露がたり』『浅草寺子屋よろず暦』など。12/5に初の現代小説『冬と瓦礫』が刊行予定。