セ・リーグの3年連続最多敗戦投手
尾花は根回しに動いたこの1988年に9勝16敗と負け越した。
「僕はあの当時はセ・リーグの3年連続最多敗戦投手ですよ」
けれど、防御率は2.87、登板イニング数は何と232回と投げまくっている。これだけのイニングを食いながら、選手会労組の復帰作業に奔走していたことをほとんどの選手は知らなかった。
今年一月、メジャー志向の強いロッテの佐々木朗希投手がその選手会から脱退をした。所属していても意味がないと判断されたとの報道もなされていた。尾花は淋しさを少しだけ見せつつ、先人としての矜持を語った。
「それは選手個々の判断だと思うんですが、まあでも、脱退しても同じ権利を得てるわけですよね。そのへんがまた不思議ですよね。選手会の事務局とか、NPBがそこはちゃんと線引きをしないと、何のための労組であるかあやふやになってしまうと思うんですよ」
現役引退後も尾花は人知れず、人間の尊厳や人権に関わる仕事にボランティアで従事している。伊勢孝夫コーチの紹介で知り合った弁護士から、「世の中の役に立つ仕事をやってみないか」と誘われて26年間に渡って保護司の仕事をやり続けてきたのである(現在はやめている)。
「保護司」法務省のホームページによれば、「犯罪や非行をした人の立ち直りを地域で支える民間のボランティア」とある。
ウイキペディアにも記載されているこの尾花のキャリアを読んで、てっきりプロ野球選手、コーチの経験を活かして、保護観察処分にあたる人々と向き合い直接的な指導をしていたものと思っていた。ところが、26年間続けて来た仕事内容は、そうではなかった。
「法律とかいろいろ学ばなきゃいけないので、それはないですね。保護司の仕事はたくさんあってめちゃめちゃ大変なんですよ。僕は更生するための作業に関わるんではなくて、野球で言えば、ボール拾いのような仕事です。
極端に言ったら、小学校とか中学校に出かけて行って資料のファイル詰めをやったりとか、7月の人権強調月間には、『社会を明るくする運動』として街頭に出てチラシやひまわりの苗を撒いたりとか、そういうお手伝いをずっとやっていたんです」
保護観察ではなく、犯罪予防活動。表には出ない。それは〇〇アンバサダーと言った晴れやかなスポットライトを浴びていたアスリートがその知名度を利用してのアナウンスではなく、地域における草の根の人権広報活動を地味に支える黒子作業であった。
毎年7月に東京・港区の街頭で、ひと際背の高いがっしりした男性から人権啓発ビラをもらった人はそれが、プロ通算112勝をあげ、ロッテ、ヤクルト、ダイエー、ソフトバンク、巨人、横浜でコーチ、監督を務めた人物であることに気づいていただろうか。この陰徳(人知られないように密かに行う徳)の精神はどこから来たのか。