いじめの原因となった要因が、芸能界では武器に

米兵の優越的地位が担保されている日米地位協定に絡む問題などが今も横たわる沖縄だが、米軍統治時代は、沖縄の住民はより多くの不条理にさらされた。

在沖米軍トップの高等弁務官は強大な権力を有しており、住民は強権的な政策に翻弄された。

「自治は神話だ」

1961年から64年まで高等弁務官を務めたポール・キャラウェイ氏が残した言葉が、支配者然とした米軍の立場を象徴するものとして今も語り継がれる。

畢竟(ひっきょう)、圧制下にある沖縄の住民らには反米感情が根付き、そうした反感は羽賀容疑者のような「混血児」に向けられた。

父親から彫りの深い顔立ちと立派な体躯を受け継いだ羽賀容疑者にも、そうした「アメリカー」に対する敵意が向けられた。

「いじめは本当にひどかった。俺だけじゃない、俺の同年代の頃のハーフっていうのはもうとにかく悲惨でした。

よく袋だたきに遭うっていうけれど、まさにそういう状況で。よってたかってボコボコにされるんです」

端整な顔立ちも当時の沖縄ではいじめの対象となった
端整な顔立ちも当時の沖縄ではいじめの対象となった

羽賀容疑者は当時をこう振り返っている。

ただ、沖縄社会では反感の対象となった羽賀容疑者の容姿は芸能界では武器になった。

羽賀容疑者は高校卒業後の1981年にデビュー。82年にはフジテレビ系のバラエティ番組「笑っていいとも!」のいいとも青年隊に起用されて人気を博した。

当時は珍しかったエキゾチックな顔立ちもさることながら、接した人間を魅了する天性の「人たらし」としての素質も羽賀容疑者は持ち合わせていた。

羽賀容疑者を知る芸能プロダクションの関係者はこう証言する。

「羽賀は各業界でのキーマンの懐に入るのが絶妙にうまかった。絶大な影響力を持つ芸能界の大物に取り入ったのを皮切りに、大物の周辺にいた財界の実力者やヤクザの親分とも関係を築いてうまく立ち回っていた」