カミングアウトで涙が出るほど生きやすくなった

–––––矢神サラさんは、どのような幼少期を過ごされたんですか?

矢神サラ(以下、同)  小さいころは、よく女の子とシルバニアファミリーで遊んだり、ビーズを集めたりして遊んでいました。男の子とも仮面ライダーごっこなどで遊んでいましたが、物心ついたときから、男性が好きでしたね。仮面ライダーは「イケメンが見たい!」という理由で観ていました。

小学校に入ってからは男性アイドルにハマって、雑誌をたくさん買ったり、出演番組を観たりしていましたね。関ジャニ∞(現SUPER EIGHT)とKAT-TUNとNEWSの合同ファンクラブ「Y&J」にも入会して“ジャニオタ”したり、仲良しの女の子と推しの話をしたりしていました(笑)。

インタビューを受ける矢神サラさん(写真/集英社オンライン編集部ニュース班)
インタビューを受ける矢神サラさん(写真/集英社オンライン編集部ニュース班)
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–––––そういった状況に対し、周りからの反応はいかがでしたか?

小学2〜3年生くらいから、学校で「オカマなの?」って言われるようになりました。私は当時から「オカマ」という言葉を差別用語だと感じていたので、否定しなきゃいけないと思って「違うよー」と返していました。一応は否定するものの、本当はそのとおりだったのですが(笑)。

当時は、今よりも多様性が尊重される世の中ではなく、性に関しても「男の子」「女の子」と2つの枠しかない感じでした。なので、学校の先生や祖父母世代からは「男らしくしなさい」とか「女の子とばっかり遊んでいたらダメだよ」って言われていました。

幼少期の矢神サラさん(写真/矢神サラ公式YouTubeチャンネルより)
幼少期の矢神サラさん(写真/矢神サラ公式YouTubeチャンネルより)

 –––––それで悩んだことはありましたか?

義務教育の9年間は、そういった言葉に縛られている感じでしたね。ことあるごとに男女で分けられたり、男の子は短髪にしなくちゃいけないといった校則があったり、いろいろな面で「敷かれたレールの上を走らされているな」と感じていました。

–––––高校に入ってからはどうでしたか?

環境が変わったこともあり、高校は中学校までよりも自由な校風だったので、「男の子大好き」とカミングアウトしていました。当時はカミングアウトできたことがうれしくて、みんなの前で堂々と恋バナができるようになったこと、たったそれだけでも人生がバラ色に見えて、涙が出るほど生きやすくなりました。

–––––どういった経緯でカミングアウトしたんですか?

人生で最初にカミングアウトした相手は、親友の女の子だったんですよ。その子とは“ニコイチ”な関係で、よく悩みなどを相談し合う間柄だったんです。

その子にカミングアウトしたときは、2人で泣いちゃいましたね。「大丈夫だよ」って言ってくれて、それがきっかけで、周りの人にもカミングアウトできるようになりました。

–––––カミングアウトしたときの周りの反応は?

想像していたよりも普通でしたね。それで、「そこまで思い悩むほどのことではないのかも」と思えるようになりました。

それでも、親にカミングアウトするときはすごく勇気がいりました。でも、うちのお母さんはちょっと“天然”なところがあるので、「今の子って、結構そういう感じだよね」といった反応でした(笑)。当時から寛大で、すごく理解がある親です。

–––––高校卒業後は、何をしていましたか?

私が通っていた高校は大学進学率が99%で、大学へ行くのが当たり前という環境でした。でも、大学に行ったからといって女にはなれるわけではないし、「学費を払うくらいなら、そのお金で性転換手術したい」って思い、進学はしませんでした。

高校卒業後は、当時日本でも大ブームになっていたK-POPアイドル・少女時代に入りたくて、そのために地元・名古屋から上京しました。それで、韓国の芸能事務所のオーディションをいろいろ受けたんですけど、すべて落ちてしまいましたね。当時は男でも女でもない状態でオーディションを受けていたので、審査員も「どういうこと?」って感じだったと思います(笑)。

(写真/本人提供)
(写真/本人提供)