“いじられキャラ”に苦悩した学生時代
待ち合わせのお店に身をかがめて低姿勢で入ってきたのは、184センチ116キロの巨漢男性だった。ベンチプレス140キロを上げるというその強靭な肉体と裏腹に、どこかオドオドして、落ち着かない様子をしている。
佐々木洋宣さん、29歳。早稲田大学時代は体育会の部活に所属し、卒業後は誰もが知る大手印刷会社に勤務した秀才だ。紆余曲折を経て、現在彼は新宿歌舞伎町のホストクラブ「ユグドラシル本店」の内勤として働いている。
「どこへ行ってもナメられるんですよね」
開口一番、佐々木さんはそうつぶやいた。学生時代はずっと”いじられキャラ”だったという。
「地元・足立区の公立中学校が荒れていて、『民度の低い場所にはいきたくない』と中学受験して、私立足立学園に進学しました。中学生くらいのときは“KY(空気読めない)”という言葉がまさに流行していた時期で、私はその代表格だとみなされていました。
確かに、私は『右向け右』みたいな”雰囲気”で人に操られるようなことに抵抗を覚える人間では当時からありました。加えて、人の発言の裏側などがあまり読み取れず、私の言動が人をいらつかせてしまうことがあったみたいです」
猛烈な受験勉強の末、晴れて希望の早稲田大学への進学が叶った佐々木さんだが、入学早々つまづいてしまう。
「早稲田大学に合格した翌日から、私はとある体育会の部活の練習に参加していました。すると、そこでの行動が同期や先輩の”いじり”の対象になってしまったんです。部活では、”いじり”の標的になる人が各学年に一人いました。
“いじり”はどんどんエスカレートして、先輩の男性器を触ることを強要されたり、練習中のどさくさに紛れて殴られる、蹴られる、転ばされる――などの暴行にも遭ったりしました」
日常的かつ執拗な”いじり”を受けることによって、佐々木さんの精神は限界に追い込まれていった。もちろん、監督に相談もしたが、取り付く島もなかったという。
「身の危険を感じた私は監督に相談しましたが、監督は悪しき”いじり”の文化を知っていながら黙認を貫きました。まるで訴えた私が悪いかのように、『加害者だって、(暴行を)やりたくてやっているんじゃないんだ』と言われたこともあります。
監督は頼りにならないことがわかり、その競技部が所属する協会や早稲田大学のハラスメント相談窓口に対して、私は受けたハラスメントを一つひとつ証拠とともに報告しました。10件以上提出し、そのうちのいくつかは正式に認定されました」
その後、理由はあきらかにされていないものの、監督は退任している。
ハラスメントと戦うなかで佐々木さんは過呼吸などの急性ストレス反応が出るようになり、心療内科にも通ったが、完治には至らなかった。新卒で入社した大手印刷会社においても、過呼吸発作を再発して5年ほどで退職した。