企画のきっかけは娘の中高6年間の不登校 

島根県で中高の英語教員として働いていた渡部さん。高校時代、暴力や暴言で生徒を縛り付けるタイプの教員が大嫌いで、「俺がやったほうがマシだ」と教員の道へと歩みを進めた。

しかし教員として働き始めると、いつしか学生の頃に忌み嫌った先生のように、自身も気づかないうちに力で生徒をコントロールしていた。それでも教員間の信頼は厚く、「自分は指導力がある」と自負していた矢先、次女が不登校になったのだった。

明るくて天真爛漫でいつも輪の中心にいるような次女から少しずつ笑顔が消え始め、不登校になったのは中学1年の2学期。いろんな感情を親にぶつけ、摂食障害を患った。食べても吐いてしまう次女の姿にショックを受け夫婦で心身の不調に陥るなど、「あのときは本当に大変でした」と渡部さん。

「もうここにいたくない」

そんな次女の言葉を機に、摂食障害の人を受け入れてくれる施設を探し、いくつか提案したところ、「ここに行きたい」と次女が選んだのは沖縄県宮古島の施設だった。

数か月間、宮古島の施設で過ごし、帰宅後は母と一緒に料理をしたり、少しずつ穏やかになっていったという。中学2年のとき、英語学習に興味を持ったことがきっかけでニュージーランドの語学学校へ通った。「正直、ニュージーランドに行くと言い出したときは跳びあがるほどびっくりしましたけど、今はとことん本人がやりたいことをやらせるしかないのかなと思って腹をくくりました」(渡部さん)

中学は不登校のまま卒業し、高校からは通信制の学校を転々とし、最終的には大阪の通信制高校に入学。大阪で一人暮らしをしながら高校卒業認定資格を取得後、大学受験に挑み、関西大学へ入学を決めた。

「今までの6年間は何だったんだ」(渡部さん)と思うほど、大学生活をエンジョイし、その後は日産自動車へ就職。現在は結婚し、3児の母として充実した日々を送っているという。

「当時は、『教員の子どもが不登校になるなんて』と現実を受け入れられなかった。人の目も気になるし、恥ずかしいとか申し訳ないとか、教員という立場での保身の気持ちが強かった。だけど娘が不登校の最中でも果敢に挑戦する姿を見て、徐々に受け入れられるようになりました。

そもそも、私は教員として『学校できちんと勉強しないと社会ではやっていけないぞ』と強い姿勢で今まで指導してきましたが、学校教育って一体なんなんだろうって一種の疑問や違和感さえ芽生え始めたんです」

渡部正嗣さん(本人提供)
渡部正嗣さん(本人提供)
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