残酷さを競い合う昔の刑罰

人類史上、使用されてきた刑罰の種類は、大きく分類すると、一応以下の5つの体系にまとめることができる。

命を絶つことを主な内容とする生命刑(現代的に言えば死刑)、体に傷・怪我をさせることを主な内容とする身体刑、自由を制限または剥奪することを主な内容とする自由刑、人の体力を利用する、またはその体力を奪うことを通じて体を苦しめることを主な内容とする労役刑、金銭などの財産的利益を強制的に取り上げることを主な内容とする財産刑である。

しかし、同じ刑罰と言っても、その具体的な中身や方法は、国家や時代により千差万別であり、形態としても様々で、百ないし数百まで及ぶ。

例えば生命刑の場合、中国の秦・漢の時代では、腰斬(胴体を切断する刑)や棄市(首切・打ち首にする刑)などの複数の形態があった*2。

中世ヨーロッパでは、車刑(車輪のようなものに死刑囚を縛り付けて鉄の棒を振り下ろして死なせる刑)・煮沸刑(釜ゆでで死なせる刑)・絞首刑(ロープを首に巻いて死なせる刑)・撲殺刑(ハンマーではりつけ打ち殺す刑)などがあった*3。

シンガポールで初めて日本人に鞭打ち刑20回の判決。腕を切り落とす、入れ墨を彫る…じつは残酷な人類の刑罰の歴史_2

また、日本の戦国時代には、生命刑の形態として、礫・逆礫・串刺・鋸挽・牛裂・車裂・火焙・釜煎・簀巻などがあった*4。

このように、数え切れないほど多くの刑罰とその形態が、洋の東西を問わずに発明され使用されていたが、その主な動機は何であろうか。それは、一言で言えば、国家によるより残酷な刑罰の追求であった。

そして、国家がそこにこだわった動機は、何よりも、残酷さの追求を通じて、受刑者と大衆の両方に対し、より大きな衝撃を与え、刑罰をより可視的で有形的な存在として意識または感知させるということであった。

学問的に、刑罰の機能には応報と予防とがあり、予防には犯罪者自身に再び犯罪をさせない意味での個別予防と、他の人々に犯罪者への刑罰を見せて犯罪を思い留まらせる意味での一般予防があると解釈されるが、応報・個別予防・一般予防のいずれの機能を果たすためにも、刑罰は可視的で有形的でなければならない。

言ってみれば、衝撃性・可視性・有形性こそが刑罰の命である。人類の刑罰の歴史は、刑罰の衝撃性・可視性・有形性をめぐっての歴史と言っても過言ではない。

先に生命刑を例にしてその形態の多さを述べたが、恐らく生命刑以上に大きく変化し、多種多様を極めたのは身体刑であろう。

そのなかでも、最も直接的に衝撃性・可視性・有形性を追求したのは入墨刑である。皆が一見してすぐ分かるように、犯罪者の体の一部、特にその顔に犯した罪名を彫って墨を入れておくのである。

典型的なのは、泥棒の顔に「泥棒メ」と彫って、誰でもその顔を見たら「そいつが泥棒をした」と分からせるような刑罰である。中国・ヨーロッパ・米国・日本のいずれの歴史上でも、このようなやり方が行われた*5。