過去には結婚して子どもも出産
「私ね、北海道札幌市出身で、両親とも北大(=北海道大学)出身のエリート家庭に生まれたの。それで私も北大に通ってたんだけど、当時はまだ男女雇用機会均等法ができたくらいの時期で、まだまだ女性の社会進出は進んでいなかった。
それにちょうど不景気の年にも当たってしまって東京にある一社しか内定も出なくてね。でも当時は、まだ上京するなんて勇気もなかったから、卒業後は道内の進学塾で働いてたの」
その後、転職を繰り返すうちに上京し、34歳のころに結婚。その4年後には待望の第一子を出産したが、幸せな日々は長続きしなかった。
「息子ができてしばらく経ってから離婚したの。だから一緒に住んでいたのは3歳半くらいのころまでかな。そのぐらいの時期から精神に支障をきたすようになって、別れたあとに生活保護も受けてたよ。その後は、事務職とか雑誌の校正とか職を転々として再婚もしたけど、結局それも長く続かなかった。
ふたたび精神に支障をきたすようになって、今から10年くらい前にまた福祉に頼るようになったの。息子とも最後に会ったのは2年前くらいかな。まあ色々と迷惑もかけちゃったし、向こうは顔も見たくないという感じだろうね。親としては生きててくれたらそれで十分なんだけどさ」(同)
夜の8時を回ると、トー横広場で宴会を始めるためか、界隈民たちも続々と移動し始めた。「じゃあママ、あとで来てねー」と言いながら歌舞伎町方面に去っていくと、新宿大ガードは閑散として電車の走行音だけが響きわたる。
しかし、その後も本間さんの元にはトー横キッズと思わしき少女が訪ねてきては、「ねえママ、私どうすればいいと思う?」などと心配そうに訊いてくる。相談が終わり少女が立ち去ると、本間さんは軽いため息をつきながら「こんなのはまだマシな方だよ」と話す。
「私もかれこれ4年はここにいるから、いろんな子を見てきたよ。これまで仲よくしてたキッズが自殺したり、市販薬OD(=過剰摂取)の影響で亡くなった子も見てきたしさ。
キッズから『もう死にたい』なんて相談を受けることも多いけど、そういう子に対して『死ぬな』なんて私は言えない。だってそんなのただのきれいごとじゃない?
だから私は『わかった。じゃあ一緒に死のう』とか『もし○○(キッズの名前)が死ぬなら私も後を追って死ぬから』と言うようにしてる。こっちのほうが説得力があるからね」